KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年9月号
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霧して愛されずにはおれない魅力をもっている。仕事をもって「神戸」にくることはまれですが、それでも年四、五回は、〃憩い″の場を求めて神戸にやってきています。私自身が〃承なと町″のふん囲気が好きだからだろうか。××××神一戸にいた六年間l長い人生で六年はわずかな,ものだけれども、その六年間が私にとって丁度思春期だったことが、神戸を〃第二のふるさと″として強く印象づけることになったのでしょう。初恋の想い川もありました。でも何よりの収穫は、思想の基礎を築く頃を、コスモポリタンの町「神戸」1人種的偏見のない環境で育ったことは、私の人生に大、きなプラスだったし、思想的影響も大、きく、私はこのことを幸せだと思っています。葺合区の家主さんが太っ腹な中国人だったこと。近所のロシヤ人、中国人、インド人、アメリカ人の子供たちと仲よく・ヘイゴマやラムネ、ママゴト遊びなどをして育った私は、人種的偏見を知らずに、また抵抗もせずに大きくなりました。おかげで外国へ旅行した時には、「白人に対する劣等感や、黒人への優越感」を持たずに楽しですごせたことを、しゑじ承幸せに思いました.(文責・五十嵐恭子)蝋蕊.~..‐".。.需蝿蕊蕊■12戸塚文子(とづかあやこ)さんのこと評論家、また雑誌「旅」の女編集長(前)としても有名。大正二年生まれ、兵県県立第二高女を経て日本女子大英文科卒。昭和九年日本交通公社の前身ツーリスト・ビューローに入社。著書には一‐シャボテン夫人」「ヨーロッパ三等旅行」などがある現住所、東京都北区上中里一ノ三○

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