KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年9月号
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+この疑問が多年わたしの頭にひっかかっていた。そこでかの国の元大蔵大臣で、侍従長をつとめた』」ともあるディクソン博士と、二回にわたり、四時間ほどしん承り話しあった。博士いわく「社会保障はりっぱな美しい思想だ。しかしその反面を見たまえ。個人主義、利己宗義.:つまり自分の生活だけが安全なら、他人や隣人はどうでもいい、という考え方に陥ってしまう。、ストックホルムの市中をごらんください。希望も目的もない老人たちがウロウロしているでしょう。自分だけの安泰を一生の願いとし、隣人も、社会も、国も考えなかった世界第一の社会保障の国民がどんどん自殺をとげるのは、社会保障という美名の裏をつづる深刻な問題ですよ。ですから、人間は死の寸前まで公共の為に命を捧げる決意をしてこそ、人生は成りたつものだと信じます」◇この紳士の心からなる述懐は、強くわたしの心を打った。旅行中わたしはこのことで考えつづけた。老後の平安、老後の安泰…他人はどうでもいい、社会保障制度のおかげで、パンと水と家とさえあればいいんだ、という考え方で老齢に達して満足するものがあるならば、ストックホルムのあの有名な〃自殺の崖″から投身したまえ。この話を九月二日夜八時にしん承りと妻にした。わたしはいった。「オレはそういう龍涯左送る決意をした。権威も、・地位も、富もいらん。一本のタ・ハコを半分にさいても、隣人に半分を与えてやりたい/・」妻は即座には↓きり答えた.「わたしは、たとえ貧民くつに落ちても、あなたに殉じます。それがあなたの生れ持った性分であることはよくわかっています」この瞬間、わたしは心のなかで妻に合掌した。そしてそれが三十何年の結婚生活における妻にささげた最高の尊敬の瞬間であった。’九月六日記I(兵庫県知事)191

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