KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年8月号
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■全P■私はしゑじ承そう思った.阪神日報では選挙がある度ごと金権候補のチョウチン記事を書くのだ。そうしなければ社の経営さえ立たないのだ。そんな小つぼけな新聞社が、大資本の三大倉庫・六大元請会社を相手にしてケンカをできない事は、最初から充分解っていたつもりだったが、やはり鉛のようなものが胸の底に重たく残った「まあ有給休暇のつもりで、一年ばかり田舎でのんびりするよ。」「然し勇敢にやってのけたな。あの記事が発端になって、衆議院の港湾苛働法審議会に持ち込まれたし、議員の実態調査にまでなったんだからな.もってめいすくしだろう」「ああ無駄じあなかったと思うがね」私は笑った.だが云い知れぬ淋しさが、自分の笑い声に煽られて燃え拡がった。視線を窓外に移すと、波止場が見えた。波止場は何事もなかったように、今日も動いている。出船なのであろうか、一ぎわ胸に応えるような西r■L一,惨塑己a暑中御見舞申し上げます太陽製H反KK神戸市兵庫区湊町一丁目高架3号/TEL製版部⑤0558.0586写植部(6)4416〆勢汽笛が聞えてきた。手配師の隆が証拠不充分で釈放されたと知ったのは、私が三田支局に移ってから暫くたってからである。私は一切がまた元通りになってしまった事を、自分の敗北感と合せて知った。「アーさん、なんだいそれは」年寄った支局長が声をかけた。私は薄笑いを浮べてへラ竿をだして承せた。「こいつはいい竿だ。アーさんが釣りをするとは発見だな。」「これから、釣りにでも凝ろうかと思うんです.支局長、御指導を願います」「ああ、その方はね。ここはいい池が多いから」支局長は釣りの事になると、急に大声で喋りだした。私はふと、いずれは自分もこの年寄った支局長のようになるのかな、と思った。l終I,金印伊.TEL⑥0897出淵反暑中御見舞申し上げます1461全》一一一

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