KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年8月号
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う大自然。したがって大陸を東西に横断する鉄道というものは、いまだ手がけられず、駅馬車がギャングやインディアンをおそれながらも、雄々しく馳けていた。西部の開拓こそアメリカの繁栄も考えた国民すべての願いが実って、南北戦争のさなか1862年に東部はオマハ、西部はサンフランシスコから、同時に鉄道建設は始められた。ところがこの工事は、西部を自らの土地と考えていたインディアンを怒らせ、彼らは毎日のように線路の各所を雲い、その完成をさかんに妨害した。〃これを防ぐために、なにかいい方法はないだろうか?〃ヒタイを集めて相談の末、ハタと手をうって決まつw洋酒はなしの夕侭ネ藤本義一画・佐々木侃司国産車が使われるようになり、1860年頃になると、東部一帯の主要都市はすべて鉄道でつなぐことができた。しかし南北戦争(1861年ぼっ発)以前のアメリカは、南部と北部、そして西部の三シの国にわかれているようなものであって、とくに西部と東海岸の洲をへだてているものは、ロッキー山脈といアメリカで初めて鉄道が敷かれたのは1820年代の終りからで1829年にはイギリスから4台の機関車を輸入して走らせたが、これを手本にして翌年には早くもeノメ26.5名づけてハイボールZウイスキー・ハイボールウイスキー適量と炭酸水で作る簡単な飲承ものです。普通中型タンブラー(八オンス入れ)に、ウイスキー適量(人差し指の厚承が基準)を入れ氷二片ほどを入れ、冷えた炭酸水で承たします。強いのがよい方は、Wになさるといいでしょう。好承によっては輪切りのレモンをそえてお召し上り下さい。1221た名案というのは〃沿線の随所に空高く気球をあげておいて、雲撃にやって来たらいち早くこれを発見しよう″というのである。その知らせで両隣りの現場からもすぐ応援ばやってきたし、軍隊も助けに来てくれた。それから工事はどんどんはかどって、1865年5月、日にはユタ洲プリモントリー・ポイントで東西が感激の握手をかわしたが、その祝賀会の席上、人々はお互いにこう話し合ったものである。〃まったく、あの空高く(H1GH)あがった気球(BALL)のおかげだったよ″そのとき出された飲承ものがウイスキーのソーダー割りだったので、以後これをハイボールと呼ぶようになったといわれているのだが、まあ、眉にシバをつけて聞いていただけば結構である。&

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