KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年8月号
22/56

6レリーフ。1181』新人の個性という問題はなかなかむつかしいことだが、同君はすでにそれを計算のうえで打ち出し得る技価を持っている。悪くいえばスしていることになるが、それほどに器用でありシャープなのだといえるだろう。だから、同君の今後にとって、これは非常に力強いことである半面、気を付けなければならぬ点でもあるわけだ。・しかし同君は、決してその道をふゑ誤る人ではないと思う。何かの席上でし承じ承と、こんなことを語っていたのを覚えている。いったん実社会へ出て、その余りにも不純なのに驚いた、せめて〃美″の世界にだけは純粋なものが存在するだろうと考えて、あらためて美術学校へ入り直したlというのである.その〃甘さ″は別に論ずるにして何よりも、ひたおきなその気持ちは人間にとって一番大切なものに違いない.その一途さが画面ににじゑ出て来る日を期待したい。(伊藤誠)六甲山のお化け松井高男〃純粋〃を絵画に求める山田祥三穂時計覚えておられる方がいるかどうかI戦前のこと、それも大分以前の話だが、六甲山に妙齢の婦人のお化けが出るといううわさが広まった。場所は定かでないが、山の中腹に広大な邸がある。そこを訪ねると、ともかく男性でさえあれば、ねんごろに招じ入れられ、山海の珍味が並べられて大いに歓待されるという。さらにその邸の女主人と一夜を過ごしたものにはばく大な謝礼が渡されるというのである.相手がうら若い婦人だけに、若い男性たちの興味をかき立て、行ったとか、行かぬとか、えるが、その〃大人″らしい風貌はいかにも〃画家″にふさわしい。行動美術に所属している。前記〃われらの新人展″の一暴話めくが、第一席を選び出すのに大いに難航したあげく、ともかく〃新人らしいオリジナルの打ち出し″ということで、最後に山田君が推された。神戸で開かれる展覧会の中でいろんな意味で面白いlというよりも、はなはだ有意義なものに神戸美術館が主催する〃われらの新入展〃がある。ことしでまだ第二回目であるが、その第二回展で、受賞第一席の神戸市長賞をとったのが山田祥三君である。東京武蔵野美術学校油絵科の出身。面立ちは一見年齢以上に見えるが、その〃大義しだいぶ尾ひれがついて、まことしやか雁語られていたようである。そこまでは、まずいいとして、ただ一つ、この妙齢の婦人、おそろしい庭とに真っ:赤な口が大きく耳P《まで裂けているということであった..その後どうなったことやら、二年前騒がれたドラィブウェィの幽霊も、その後すがたを現わさない。この方はもっとも、科学的?に解顕されて.ケリがついているがそれにしても怪談よりも土砂崩れの方鵡こわい昨今の六甲山ではある。(神一戸新聞学芸部長)

元のページ 

page 22

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です