KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年8月号
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15これで何度目かの神戸だが、だんだんと神戸がわかってきた。しかし、、砧つと明瞭にわかったことが、ひとつある./8神戸の町とは、意外に小さな町だということである。摂津や播磨の山川草木までホウガンしてしまった神戸市は、なるほど大神戸ではあるが、マチの部分は小さい。マチの部分が小さいということは、これからの神戸の繁栄を考えるうえで、非常に都合がいい。「そうやないか、五十嵐さん」「そうですかいな」五十嵐さんは、不得要領な顔をした。「おれはだまされていたよ」「なにに、ですねん」「神戸の繁華街に、や」そうではないか。私は、五十嵐さんに、神戸をおしえたげるといわれて、さまざまな町をあるいてきた。元町三宮センター街大丸前で、きょうは、トア・ロードの坂をあるいている。この五つの商店街は、それぞれ独立し、それぞれ個性をもち、たがいに歴史の相違をほこっているが、私はそれらを一回に一カ所づつあるいたがために、それぞれ、ずいぶん離れた場所にあるものだとおもっていた。ところが、ごく近い。ひとつのせまいブロックのなかにある。※「たしかに」と、トア・ロード商店街の会長である磯川太良氏がいった。「ひとつのブロックなんです。それが各個ばらばらに栄えようとしているさかい、はなしがややこしい。一つのブロックとして、都市計画を考え、繁栄左考えんと、これからの商店街はあきまへん。つまり、それぞれの個性を生かしつつ、有機的に結びつかんといきまへんな」、トア・ロード散歩
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