KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年8月号
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突然、私はまっ白い一角に一つの小生物、というより高山のひややかさとは対象的な生きものの存在を発見した。蜂だった.博物の標本さながらに凍てついた?ままの姿で眠っている。一瞬、かすかな驚きと神秘感が私を捕えた。昭和十八年七月といえば、大東亜戦争もようやく中だる承になりかけていた.大阪の麻会社に勤めていた私は、友人で歯科医のN君と同行で白馬岳に登ることを決めた。それまであまり登山の経験がなかった淫けに好きなテニスの試合に出る直前のような、ち聖っとした不安とファイトの入りまじった軽い昂奮が心をとらえた。はじめて見た信州の夏の風景は、アルプスから流れ降りてくる万年雪の溶け水のように清列だった。・大町から大雪渓あたりまでは、六甲山に登るのと同じような調子で歩いた。途中の渓流で飲んだ水がとても清らかで冷たかった。だが雪渓のそばまでくると、とたんに大気がつめたくなった。雪の上を歩き出してしばらくの間は夢中だったが、ようやく地上と違って、歩一行のテンポが鈍ってきたことが気になり出した。さっきまで前後にいたと思われる他の登山者の姿も、急に見えなくなって、ときどき遠方から人声が風に乗ってくるのが、まるで別の世界からのような錯覚を感じさせた。か。やっと二人は雪渓のはづれまできていた。ほっと安心するとともに、気持の疲れも急に出てきた.そのうえ夕闇と一層の冷たさが身に泌み始めた。急に「しっかりしろ」というNの声が数メートルさきからきこえてきた。「うん」と答えたものの、やはり足が無性に重たい。思わず「ブドウ酒を一杯くれ」と叫んでへたばってしまった。青年らしい恥辱感とあせりが胸を一杯にした。その時のブドウ酒が、稀薄な大気と冷気と疲労に弱った自分をどんなに力づけてくれたことか。やっと私は再出発を開始した。高貴な女性たちのように、かすかに揺らぐ高山植物の花々の間を。だが、まだ頂上はなかなかやってこない。山小屋で誰かが振るカンテラの灯はじつにま近だのに/・全力をふりしぼって何十分間登りつづけたことだろう?ついに山小屋へ着いたl帰りは軽快なスケルツオ調だった.峰々を下りながら、淡霧の中をくぐり、ヤッホーを何随想白馬の想出し、木重雄青も倍増しようというものだ.山百合を愛でつつ霧をくぐりつつ雪渓に蜂のむくろや雷下に(神戸新聞論●つぜん足を滑らして谷底に落ちかけたのは、まさに冷汗三斗の思いだった。山は青年の永遠のあこがれlに相違ない。今でもこの時の思い出が蘇ってくる。山は決して、あまり楽々と登るなかれ・少しは苦万して登る方が、楽し承雪渓を歩き出してからすでに一時間近くも過ぎたろう姿も見かけた。ただちょっと調子が弾承すぎて、度も連呼し、時には雷鳴を足下できき、珍らしい雷鳴のNがと説委員)13

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