KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年8月号
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でも神戸に来たら必ず行く店が一港、外人墓地、元町、トア・ロード、北野周辺などは作それにいい物を置いてますからね。また、落ついて買い物が出来るフン囲気も好きだな。食事では〃むさし″のほか、〃ふじはら″のてんぷらや〃すし包〃などにも時々いきますよ」これまでに神戸のことをお書きになりましたか「そうですね。「川は流れる」と「ラッキーさん」に少し神戸の町のことを書いた程度ですね。「ラッキーさん」は、昭和二十六年頃で、映画にもなりましたが、これには元町の裏筋にある酒場のことを、それも実地見学できず、たしか戦前のイメージのままに書きましたよ。な気がするんだね、ところが神戸っていうところは、そこにしかない品を置いてる店が昔からありますね。だからそうした不安っていうのか、心配がないんですよ。もう一つは元町三丁目の洋品雑貨の店もともと僕自身は、ネクタイをしている人に、どこかでバッタリ出会うよう目的はネクタイなんです。などは日参したほどのファンです。戸通になられましたでしょうね会社に勤めてたから、仕事の関係で神戸にはよく出てきよ・理由はね、銀座当りで買えば、何んだか自分と同じわしいでしょうね。はセンター街にあるとんかつ「ところがね、大体、僕は大阪に友人が多い関係もあですよ。たまに女一房の買い物のお伴をする程度だな.てましたよ。でもどちらかといえば戦前の神戸の方がくって、国際ホテルに泊まっても、大阪に出る方が多いん僕は、ネクタイだけは神戸で買うことにしてるんですたしかに神戸の町Iことに六甲山の百万ドルの夜景や年二回は神戸にいらっしゃってるとすれば、相当の神三宮や元町、そして六甲にもよく行きましたよ」昭和五年から二十四年頃まで大阪の画″むさし″ですが、こんど一軒あるんですよ.一つ「ヤタナカオ」で家として大いに魅力を感じるんですよ。ただ僕の場合は、関東に住んでいること、そして忙しすぎてゆっくり神戸を見学できないため、神戸の地理には全く無知なんです。だから神戸のことを書きたくても書けないんですよ。やはりすくなくとも一週間は、小説のための取材をやらねば書けませんからね。大阪にながくいたこともあって、僕自身は神戸と京都は、ぜひゆっくり取材して、小説にしたいと思ってるんです。そのうちにきっと神戸のことを書きますよ」先生の作品にはサラリーマンの世界を描かれたものがほとんどですが…詞僕がサラリーマンものを書くのは、やはり僕自身がサラリーマン生活を長年していて、一番よく知っている世界だからでしょうね。つまり、安心して書けるというか。無難であるということでしょう。書くときは、いつも〃明るく、安心して読める〃ということを念頭においてるんですよ。フアン層は、やはり女性、それも高校生が多いんですよ。他の作家と変ってるのは、小説は読んだことはないが、映画を通じてのファンが多いことですね.過去十年間に、長編や短編合わせて約五十本が、映画化されましたからね。僕としてはあくまでも〃小説家〃ですからね、映画だけでいろいろと評価されるのは困るんですが……。だから、これからはひとつ、反逆精神を起して、映画化しにくい作品を書こうと思ってます(笑)この四月に、東宝の監査役ということになったんですが、月一回、しかも午後二時頃に一度顔を出せばいいんですよ、それに僕はあくまでも「ヒント」を与えるだけのことで。自分が脚本を書くというのではないからね。いま一カ月の仕事の量は、月刊が二本、新聞が一本、短編物二本、このほかに随筆があるんですよ」(文責・五十嵐恭子)1111

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