KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年8月号
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L当ないと説明してやると、オー・アイ・シーと分ったような顔をしていた。××××阪神国道の上甲子園から甲子園絢岸にいたる阪神甲子園線がまだ枝川や申川といった楕流であったころの思い出や、まだ球場のないころ、あの西側あたりに子供のころ住んでいた森繁久弥がいつかあのあたりをぶらついて「変れば変るもんやなあ、先輩」と私に語った話などは随筆集に書いたから、ここでは省略するとして、ひとつ球場に対する苦言を申しのべたい。あの球場内に便所が何箇所あるのか知らないが、主催者側や放送者たちのいる場所に通ずる廊下のあの便所の有様を見てあきれないものはまずないだろう。あの通路はとくに人通りが多く、いつ行っても大小便ともに満員だ。それに朝顔は五つ六つばかりしかなく、大便にいたってはただ二つだけ。しかも戸はつぶれて内部から鍵はかからず、中は靴の踏歌入れようもない不潔きわまる状況だ。びろうな話だが、私は始球が近ずくと、妙に大便がしたくなる。ところがいつも二つとも満員か、用便がすんで誰かが出て来ても、代って中にはいるには、人間たることを一時断念して犬に厳る決意を要する。それほどきたない。出て来ても手洗いの水がない?あるときでも、ちょろちょろ滴が落揖ている程度。あれほどの不潔を改良しようとしない球場なら〃兵庫甲子園球場″なんて言ってもらわないのが、かえってさいわいだ。オオサカでいい、オオサカで結構。これからこう放送したまえ。「こちらは便所の不潔なことで世界的に有名なオオサヵ甲子園球場でございます。ヒヨウゴ球場ではありません。」(兵庫県知事)161

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