KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年7月号
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1015た。結論として、私は今度の士ロ田リンチ事件でも、その責その翌日から、私は記事の上で波止場の機構を追求し任は一番弱い手配師の隆が一人でかぶってしまったようだした。まずアンコの存在についてだ。波止場のアンコに、経営面でも同様な事が繰返されている、と数字をあの存在についてだ。波止場のアンコが職安の失対事業のげて書きだした。一部に利用されていること、しかも職安支払の賃金よりこの記事は、当然、賃上げ闘争中の全港湾労働組合が利手配師を通じた方が賃金が高額である事をあげた。とい用する結果になった。はじめは大いにハッパをかけていう事は、月末月始めに殺到する出入港船に対して常雇者た局長の顔が次第にむずかしくなった。が絶対数不足している。つまり一一一大倉庫の下に六大元請「赤が利用しだしたね」なぞと、それとなく具体的な数会社があり、元請会社は一一次下請会社を何社か抱えてい字やグラフをあげることに難色を示しだした。る。その事、自体が雇用人員を減らしての危険分散だ。特に海運関係官庁と倉庫、元請荷役会社が組織してい一一次、一一一次下請会社は船ご承の時だけアンゴで人員不る港湾振興協会が反論声明のパンフレットがでだしてか足を補う。ここに手配師が必要悪として認められる事実らは、最初の意気込承はなくなった。がある.1以下次号l農:j診暑〜冒謬くぎ冒.f豊、雪,診菖〜ダ書く・・・7雲ご琴,諺ご〜冒診く琴皇j諺..〜冒諺く警冒・くぎ胃,・・・くぎ・診#急タ,謬冨〜・謬冨く琴:j雲暑署,診暑〜畠書く琴.?診冒・・,冒亀くぎ.、りましたワ.(兵庫区・加納薫)戸っ子』は、懐しい。また新しい。遠く故郷を離れて生活している神戸を思わせるよすがとなってお私にとって、毎月友人から送くらります。ユニークな編集にご苦労◇読者サロン◇れてくる「神戸っ子」は、唯一ののあとがしのばれ、一人でも多く心の慰めです。六月号のショッピの愛読者がふえるよう、一層のごング頁の組承合わせはステキでし精進を祈ります。・号を重ねるにつれ、内容も充実こn.喪一へ一・苔菰蒸ラリレ一位〃し(大阪・東洋紡績経研、玉永一郎)うもありかとう。欲をいえばマル・六月号の表紙ビュッフェの絵は☆月刊「神戸っ子」を毎月お読承セィュの風物写真がほしかったでよかった。小品だが有名人の画集になりたい方又神戸を離れているすね。福富先生の『雨の日のオシをしている私には何よりのプレゼお友達にプレゼントなさりたい方ヤレ』とても参考になりました。ン卜、しかもビュッフェの絵が神は編集室にお申込承下さい早速、組承合せの工夫を試ふた戸の。ハーに飾られていたとは驚き6ヶ月分500円(送料共)ところ、家中の人が「同じレィンだ、一度ぜひあの絵を見にいこう☆誌上の神戸銘店にはお客様のサコートを着てるのに、ずい分感じと楽し承にしている。Iビスとして「神戸っ子」がおかが違うよ」ってほめてくれました(川重秘書課長・飛松実)れています最後に、わが母校松蔭女子学院の・神戸をはなれてから二十年近く☆本屋さんに「神戸っ子」があり紹介lとても気をよくしてます。になりますが、それまでの二十年ます文洋堂国際会館1階いっそう「神戸っ子」が好きになを神戸に暮した小生にとって『神海文堂元町3g仁淀、式型百三十4うゎ昨トー一、シ月罫レーー学仁1邦t手『刻丘↓フたれ。懐しいお店がズラリと並んしてきた感じです。タイミングのでいるので、うれしくなりましたよい対談「神戸とマルセイユ」ど(東京千代田区・大村昌子)神戸っ子案内

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