KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年7月号
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古巣だ。仲間は嬉んでくれた。「アーさん、遂にやったな。骨になっていた証拠ちょっといかすぜ」「スリラー小説の題名にはね」私は唇をゆがめて笑った。「こいつは局長のアイデアだな。巨大な波止場の牙なんていう見出しわさ」「だけど特号活字だぜ。ボンボンと。俺も一度はこういう記事をだしてゑたいね。」「全くだ。どうだいアーさん気分は。明るい顔して貰うかな。パットさ・局長賞をもらったんだろう」仲間は私を囲んで冷かしたり騒ぎたてたりした。だが私は仲間と一諸になって騒げなかった。その日の記事に隆が加害者となって挙げられていたからである。「そいつが、あんまり寝ざめがよくないんだょ。加害者になっているこの手配師の隆という男ね、気の弱そうな人のいいオヤジなんだ」「気に病んでいるのか。人は見かけによらないものだって云うぜ。そんなのが案外カーッとして狂暴なんじあないのか」「リンチを加えた奴は、この隆という男だけじあない。その前にさんざん痛められていたんだ。吉田が砂糖を一杯掻払ったのを見付けたのはK運輸の荷役監督だ。K運輸の小頭やウインチマンが袋叩きにしている。それを見た恩田組の労務係がまずい事になったと思ったわけだ恩田組はK運輸の下請だろう。事故を起して後の仕事ながく貰えなかったらと考えたわけだ。そこでこの野郎ウチの顔に泥を塗りやがって、と大見栄を切って撲る更に三次下請の栄組の連中が加わった。そこえ手配師の隆っていうこの男が馳けつけたわけさ、被害者の吉田は彼が栄組に入れている。彼にしたら自分が世話したアンコが事故を起せば、今後の出入を差し止めされる。忽ち浜では生きて行けなくなるので?もう伸びている吉田をゼスチュアも入れてゴッンとやったわけだ」1481なった。汗承どろになって歩き廻った努力が報われたのだ。私はふと部長は何故反対したのだろうと思った。部長の顔を見た。部長はそれまで私の横顔を見ていたらしく、私が横を見ると同時に窓の外へ視線をそらした。私は恐らく口許に得意そうな笑を浮べていたに違いない。いや、老化したベテラン記者に対する蔑すゑの冷笑だったかも知れない。部長はそんな私を見るのが厭だったのだろう。私は部長の心の動きを察すると、得意になっている時の私の悪いくせがでてしまった。「部長や産むは案ずるよりも易しですね」私は部長の表情にでる敗北感を待っていたのだが、何故か部長の眼に、私をあわれむようなものが漂った。部長の席に戻ってからも私はまだ追打ちをかけるように云った。「局長は案外話が解りますね。ちょっと意外でしたよ」部長は微かに笑って「君がそう思うなら、それでもいい。こうなれば徹底的にやるより仕方がないだろう。及ばずながらと云ったら君の事だ、気を悪くするかも知れないけど、僕も社説欄で応援するよ」部長の含承のある言葉は気にかかった。だがペデラン記者の部長が応援するという事には素直に感謝した。記事は翌日の朝刊からというやつを、その日の夕刊に無理して第一報をださせた。整理部や版組の係りには、私自身が頭をさげて頼んで廻った。トップ記事だった。吉田事件はそれから一週間、ぶつ続けで、「お骨になった証拠」とか「アンコ故に、警察も見て見ぬふり」といった煽るような見出しで活字になった。阪神日報だけの時は警察はまだ動いていないようだった。然し地方有力紙である紙とS新聞がこの事件を社説げで、朝毎誌の三大新聞が特集で三面一杯に報道しだしてから、警察も特捜本部を生田署に設けて、本格的に動きだした。私の得意は絶頂だった。吉田事件のスッパ抜きは社会部の連中を口惜しがらせた。でも社会部は私のいた元の

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