KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年7月号
26/60
§日本画のホープ山手義正神戸の画嬉一(一般にその近郊をも含めていっているが)では、圧倒的に洋画家が多い。では、日本画家はまる、きりいないのかというと、そうではない。人数的にはI洋画家には及ばぬにしてもlかな穂時計レリーフ″ということになるが、彼の意欲を買うのは、常に如塩椎唱津毒の蓉舗奉龍糖偏熱恥栂塞確画〃から何とかして抜け出た作品いことなのである。七色の男性用下着さえ出回っている近ごろのことだ。好承は別として買いたい人は大手を振って買えばよく、あたりを見回しながらおずおずと着用する必要はない。たいへんプリミティブな形でおそれいるが、昔は男性専用の〃赤フン〃なるものさえあったのである。先祖さまに負けてはなるまい。要は何を着ようと、どうしょうと、他人へのおせっかいはしないことが肝心だし、白が好きなら白、色ものが好・きなら色ものを大いに楽しむべきなのだ。簡単なプライバシーの尊重はこのあたりからはじまる.(神戸新聞学芸部長)○三○こ『さ一l松井高男女性天国の夏がやってきた。むろん服装のことである。神戸の町り住まいしておられるのである。にもかかわらず、その動きはどうももう一つ振るわないPそんな中で、比較的活発に研究発表を行なっているのが美人画で知られた寺島紫明の門下生で作っているグループ〃明美会″である。山下義正君は、その明美会のメンバーの一人。寺島氏に師事しているのだから、同君がものする作品も当然〃美人画″ということになにも涼しげに動く花びらのごとく色彩がはんらんしはじめた。だが女性ばかりではない。白一色で清潔さと色彩感覚の貧困?を誇りつづけてきた男性の間にも、ようやく色や柄がひろがりはじめたようだ.むろん、こういった傾向を、ひそかににがにがしくながめている人もいようが、単に服装の面だけでなく、古い男性・女性観はあらゆる面で崩壊しはじめ平等?化が行われており、自然な形で相互の基本的人権が尊重され出していることも見逃がしてはなるまい。色彩の自由な駆使を女性や若い世代の手だけにゆだねておくのは、もってのほかぐらいに考えてもょを作りたいと心がけ、努力している跡が承られるからだ。〃今日〃を呼吸するゑずふずしい、しかも生命力あふれた女性を描写することは、現在の日本画家として当然なさねばならぬことだろう。いろいろと〃美人画″についてまわる制約の多いことだろうが、その上に立ってあえてその道を行こうとする、同君の意気たるやまさに壮lとカッサイを贈りたい。が、実は、現段階ではまだまだ古いキヅナにしばられている面が少なくないのである彼の作品の中の女性に生命を吹き込むためには、彼自身の位置もがそうである〃箱入り娘″的場から飛躍して、時には他流試合的発表をも持っていいのではないだろうか。ともあれ、神戸の日本画の世界におけるホープの一人として、期待をかけたい人である。(伊藤誠)1221、
元のページ