KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年7月号
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(写真は六甲山ドライブ、ウエイでトヨペツト、クラウンデラックスの前に立つ司馬氏)いですか」私は六甲を考えた。あのあかるい山から、大峰山が生んだ宗教体系は絶対にうまれないであろう。が、むしろ、そういうものがうまれないことが、六甲の特徴であり、誇りであり、われわれ関西の住人から愛され、かつ東京人からうらやましがられるゆえんではなかろうか。※どうも、この回はリクッっぽくなった。山をあつかうと、話がふしぎにリクッっぽくなる。その夜、神戸新聞の青木氏、学校の先輩の神崎氏と三宮のクラブSという店で飲んだ。「神戸は、いいでしよ」女給さんたちがいった。一人は仙台のうまれであり、ひとりは九州の唐津の産である。「良え。たしかに」とはいったが、私はむろん本心ではない.こんな精神衛生にいい都会に住んだら、私のような人間は、小説を書かなくなってしまうだろう。21

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