KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年7月号
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0I釦!のぼる者に押しつけてくるそういう「観念」はなくて、この山では、あかるい緑の空気のなかで、若い人が安心して恋を語ることができる。中年の男は、仕事をわすれてクラブをふることができる。神戸が、世界の都市のなかでも、都市生活の条件がもっともすぐれているといわれていることの一つに、この六甲山の存在がある。※「哲学のない山で、わるうおましたな」と、五十嵐さんがいった。この「神戸っ子」の編集者は、わるくちをいわれたと思って、はらがたったらしい。「ないから、六甲はええのや」高山趣味がいま日本を風ビしていて、かれらは、山へのぼるだけでなく、ヘリクッをつけながらのぼる。山に哲学をくっつけるところは、大和の大峰山や木曽のオンタヶサンにのぼる白衣の行者とかわらない。くつにわるいことではないがそういう哲学山のはんらんのなかで、「喫茶店に行くかわりに六甲山に行こ」というこの山の存在は、ありがたい。喫茶店山である証拠に、この山の道をのぼってゆくハイカーやドライバーは、どの顔も天真らんまんにゆるんでいる。日本人は、緊張(テンション)民族だという。金剛杖をついて大峰山にのぼる行者や、ザイルをもって槍ヶ岳にのぼる若人には、共通した一種の精神的緊張がある。その緊張は、山を偶像とゑているところからくる.六甲という山は、人間を遊ばせてくれる日本で唯一の山である。※山頂から一気におりて、新聞会館の屋上でビールを飲んだ.神戸新聞の妹尾KCC部長が、「なぜ、神戸から作家が出にくいのですかね」といった。私は、たったいま山中にいたのにもう都心でビールを飲んでいるという神戸の快適な都市性を考えて、「街がよすぎるんじゃないでしょうか」といってゑた。文学は精神を諺屈させる風土のなかからうまれるとすれば、神戸は、あまりにも住承やすすぎるようである.「むしろ作家などが出ないというのを、神戸は誇りにすべきじゃな

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