KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年7月号
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辻久子旅行といいましても、いろいろございます。物見遊山の旅もあれば、商用の旅もありましょう。また、あてどもなくただぶらぷらと各地を歩き廻るのも一つの旅行に違いありません。普通に旅行といえば、異った土地に行き、変った風物に接して、おいしい食べものがあり、何かと心楽しいもののように考えるのが一般的のようですが、残念ながら私には、そういう経験は皆無に近いのです.御存じの通り私は演奏家ですから、年中…とはい云いすぎですが、少くなくとも年間の半分以上は演奏旅行に出かけています。東奔西走という言葉が、文字通り当てはまるような、いそがしい旅行がいつも続きます。ひどいときには、今日は北海道で演奏して明日は東京、その翌日は九州へ飛ぶというようなことさえあります。こんないそがしい旅行をしていてはたとえ一、二日の体のあいた日があっても、物見遊山してゑたいという気持は湧いて参りません。つかれを休めるために一日中旅館にとじこもっています。性来私は出不性です。そして一つのことに熱中すると、途中でほかに気をとられたりすることのできないたちの女です。ですから、旅行に出ても、目的の演奏会がすむまではどんなに時間的な余裕があっても、演奏以外のことに気をとられたくありません。地方では有志の方がよく名所旧蹟の見物に随想旅の効用1151,,()()くく誘って下さるのですが、いつも辞退申し上げている状態です。旅行で面白かったこと、楽しかったことなどをよく新聞、雑誌汁の方から聞かれますが、返答に窮してしまいます。駅へ着いたらすぐ旅館へ、そして演奏会場へ往復してまた駅から次の土地へという無味乾燥な旅をつづける私には、つらい思い出こそあれ、甘い旅の思い出はほとんどありません。いつの日か、人並承の楽しい旅行の味をあじわいたいというのが私の念願です。(バイオリニスト)Ⅶ

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