KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年7月号
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5丁:い街のひらけることはうれしいと思う。ただ、もう二度と私の身近かにそそりたつことのないあの荒はだの山壁を、愛惜する心は、どうすることもできないのだ。南にも家が建って、海は見えなくなり、心のよりどころである裏山も失われた。ここへきて三年lはじめてしくしく旅へ誘われる気持である。この地に住む意義を喪失したような気さえする私は、心の落着きをもとめてさまよわねばならない。〃涼″は〃静″ででもあろうか。どんなに気温低く、風情の涼しげなところにでかけても、心が静かでないと、絶対に涼しくはない。それに騒音はあつくるしくて困るし、人間が多いのもかなわない自分が人間の一人であることを棚にあげての入ぎらい、結局、あまり人がいなくて、くるまがはいらないし、スピーカーががなりたてない田舎びたしづかさを愛して、布引の滝を散歩することは、ひと夏に、二、三回。水が好き、とくに、激しい気晩に承ちた滝が好きで布引にゆくのだが、ひとりでさっさと歩き、帰ってくるだけだから何のこともない。「神戸っ子」編集長の五十嵐嬢は、私が相楽園の在り場所すら知らないのに呆気にとられていらしったが、神戸っ子の中にいれてもらって七、八年、ほんとにどこも知らないし、どこへゆきたい、どこを知りたいとも思わない。それでいて神戸が好きで、これはやはり、大阪生れの私自身、大阪の良さ悪さに肉親でありすぎるように神戸の生えぬきの人よりも、自由な心で神戸を愛せるからだろう。〃涼″は追うものではなく、自らつくりだし、味わうものだと思う。身体と心とは、どうしようもなくひとつであるから、私にはまず心落ちつく瞬間が大切である。今年の夏は、何をどうよろこびとするか、それは私自身わかりようのない未来だ。(随筆家)’131
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