KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年7月号
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須磨の浦私にとって馴染深い滝といえば、華厳の滝、箕面の滝それに但馬に猿尾の滝などだが、布引の滝はなんといっても一番身近だし、好きな滝の一つである。布引の滝は、名称どおり、水にしたたった布ですっとかけられているといった、なにげない風情が、美しいし手軽くしたしめていいと思う。特に初夏から、夏にかけて、緑に映る白い布は品がよくて美しく眺められる。神戸っ子はもっと布引の滝を意識もし、大切にしていいのではないかと思う。兎に角、市内にある滝など、そんなにあるものではない。私が須磨に移り住んでもう四○年も経つ、その頃は汐見台から見下すと海を一望できて夕暮れどきに、幾十そうもの帆船がちらばって見えて、須磨の浦の素晴らしい風情に魅せられたものだ。とくに、須磨で一番いいのは月のある風景だと思う。「月といえば、須磨」とあい言葉のようにいはれているが、私も須磨の浦の月に日本一と折紙をつけていい。月見山あたりが一番眺めもよかったのであろうが、もとの須磨離宮から眺めた月は景観だ。初秋の月の登りかけが一番面白くて、思いがけないところから月が姿を見せる美くしさは、無性にたのしい。離宮あたりに、謡曲「松風」にある松風・村雨の姉妹の物語の旧蹟が残っているが、1111須磨の磯辺を歩くと、月夜に汐をくむ、松風・村雨の姿がふとよゑがえって来るような気持さえする。須磨の浦は、知らない人がないほど有名だけれども、昔の一番いい、おもかげを残しているのは、現在の海浜公園あたりだと思う。また砂浜の美しい海岸は多く知っているけれども、須磨の浦の白砂青松は独特で、海の青と砂の白い色彩の調和が美事で、すがすがしい感じがずる・それに海の色は、四季によって色が微妙に変化し、いつの季節でも見飽ることはない。冬には海が何となく波立って、その波頭がちらほら見え海の色の濁りに自然の威圧を感じるし、春の天気のいい日は、きらめくような、なごやかな美しさがある。霞がかかって、ぼうとしている海、などば春ならではというところ。初夏から夏、初秋とこれは須磨の一番いいときだし観光のシーズンでもある。とくに夜分の美しさをもっと強調していいと思う。先年、米国のプセッティという日本画の研究家を案内して、須磨の観光ハウスから月見をしたら、非常に感激して、日本の月では最高だといって動かない、京都の月もいいけれど、本当の月の素晴らしさはこの須磨に尽きるという程の執心ぶりであった。須磨、明石の風致は毎年こはされつつあるが、出来れば、須磨の月夜を楽しめるように工夫してほしいものだと思う。これは、時代の要求で仕方のないことなのだから、手の入れるとき十分の注意がほしい、そしてそこにまた別の美しきが現れたりするものだ。例えば鉢伏山頂から見下ろす、須磨、明石、淡路などの美しさはまた別の意味で、美しいし、美磨離宮に噴水をあげる計画があるそうだが、こんなたのしい計画はきっと成功するだろう。その新しぐ生れて来る美くしさを楽しゑに待つことが出来るというものだ。(日本画家)森月城

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