KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年7月号
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さて、わたしの場合だが、旅ざんまいの半生を径てきたともいえないだろうが、一般の人にくらべれば、国際的にも、国内的にも、ずいぶん旅をした方だと思う。去年買った大きな地球儀に曽遊の地を朱線でつないでぶて、相当のボヘミアンであることにいまさらながら感心した。この夏もまた外国に出かけるから朱線はさらに増えるだろう。始めて世界をまわったのは、旅客機などのまだなかった三十歳のころだったが、公園のベンチで夜を明かしたり、警察に保護されたり、黒人の家に遊びに行ったり、思う存分放浪の楽しさもさびしさも味わったものだ。あのときの経験にくらべれば、旅客機で都市から都市、つまり点から点へ飛びまわる当今の旅行なんて、てんでおもしろくない。大学時代には北海道の旅役者の群れに加わって、雪の暖野を放浪した。そのときの体験を小説化したのが、サンデー毎日に出たわたしの処女作〃ピエロと女″で、二十四歳のときの作品である。おやぢに見つかって「コラ、まさる/おまえこんなことぼんまにやったんか/」とどなられた。植物性、固着性の生きかたは、わたしの性にあわないようだ。またいわゆる立身出世型の人物にも親し承が持てない。生命力の振幅がせまいからだ。わたしは人生そのものを旅と心得る。保険会社や証券会社の社員のような生きかたはいやだ。・雲に誘われ、風に吹かれ、月を慕い、花を惜しんで、ついには終るいのちじゃないか。何をくよくよ川ぱたやなぎ、千金の春宵すなわち半壷の濁酒を傾け、山峡の雪夜すなわち炉辺に艶書を読むべし。かならずしも海外の旅にあこがれる要はない。じじつそれは誰れにでも恵まれる幸運ではない.それよりもまず日本を見なおせと、わたしはいいたい。日本は決して狭くはない.思ったより広い国なのだ。ギリシヤなんか、北海道と四国をあわせたくらいだし、161

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