KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年6月号
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つと、あんた」と顔色はじいた玉を眼で追っんやり坐っていた鉄砲(借り)で焼ちうでも呑んだらしい一人が何かまくしたてている、その声が午後に近い陽射中ので虚ろにあたりに拡がる。「大盛屋」「大盛屋」私は口の中で繰返しながら、並んでいる屋台店に近いめし屋を一軒一軒たしかめて歩いたあった・博変ではないが、ついている時は馬鹿づきするもので、私はここでも思わぬ聞き込承をすることができた吉田は大盛屋にめし代を借金していたのだ「死んでしもうたものの悪口いうわけやあらへんけどしようもない奴や。どの店でも鉄砲はするし、うちだけでも千円からありますねん。こない一杯二十円のめしでつしやろ、千円も倒されたら、もうわややがな」「だけど、吉田も運の悪い奴つちやな」「手くせ透ようないさかいな、あの時でも砂糖をバケツ一杯掻払うたっていいまっせ。そんな男やのに、隆仲仕のかっこうをしている。皮ジャンバー、黒の乗馬ズボンに紺のきゃはん地下たび.だが、想像していた狂悪そうな顔ではなかった。むしろお人好しの感じさえするうしょうもなかった。私は車が動きだすと、煙草に火をつけて深く吸い込んだ。何日振りかで、初めて吸う煙草のようにうまかった一週間追い続けた努力が、もう少しで実るのだ。手配師の隆が一切を知っている。私は思わずほころびる口許ど「三ノ宮駅前、阪急急いでくれ」たCいた。タクシーを止めた。ホールというパチンコ屋の前だ。一二一番、いた。四十「隆さん」さんは人がええさかいよう面倒承よったんや。なんでやろって、うちらよう云うてたんやけど」「隆さん、きようくるかな」「朝は顔をだしよったけど」「またパチンコかな」「多分、そうやろ、けさ、阪急ホールの一二一番の台はようでるいうてたさかいな」「三ノ宮駅前だね。阪急ホールってのは」私の声はもう興奮していたらしい。「そうや」めしやのオカミは急に変った私の言葉に怪げんそうな顔をしていたが「ちよを変えた。私は、もう馳けだして1491二三の男だ。波止場で見掛けるていた彼は、私の声で振り返っ吟

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