KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年6月号
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るだけで口を利こうとしない。私は自分の不注意を口惜八栄組!全港湾労働組合で調べてもらったある。手配師は誰だ!V私はおどりあがるのに努力しながら「アカンやろ、不景気やしな・オヤジさんも腐ったいうてるで」「吉田を入れた手配師の」云いかけて、私は失敗ったと思った。が、もう間に合はなかった。アンコ達の世界では手配師という言葉は使わない。案の定、感付かれた「おい」一人が眼くぱせした。「うむ、ほうか」初めの男が領いた。連中は一斉に緊張して、私の顔を凝つと見詰めだした。「おいどうしたい」私は緊急をとぎほどそうとして声をかけた。礼を配っていた男は少しドモリながら「オッさん、オッさんサッの人やろ」「違うよ」栄組やがな」と下札の目を引きながら答えた。掻払って、大阪の屑鉄屋へ。ハイしたら高う売れるったあいつやがな」私が初めに話かけたアンコは、そう云われて思いだしたらしく「ああ、あいつか、それやったら恩田組やあらへん.しがりながら立った。然し、栄組の手配師という線はでた。そ「栄組でも構へん、な」「吉田って」「おい、わいは片の桜に百円だ」「ほら、競輪狂のよ」「競輪狂の吉田いうたら、あのトッポイ奴か」札を配っていた男が答えた。私はしめたと思った。出来るだけ彼等の調子に合せてりストの,中に気持を鎮める否定したが、それっきりアンコ達は私の顔色を見てい「そうや、そうや、そのトッポイ奴つちや」「親はでけとる。勝負できるで」「ほらよ沖の浮標をおやじに頼んで顔付けできへんかれに彼等が直が感的に警察の者と私を決めてかかった事から想像して、吉田の死因に対する疑惑は殆んど決定的なものになった彼等の間では吉田の事件は公然の秘密だったに違いない私は入口で声をかけた。挨拶のつもりだった。「おばさん、ありがとう」「判ったかね」女は横になって子供に乳をまだ含ませていた。はだけた胸からつやのない両方の乳房がでている。別にかくそうともしない。私は一寸足を止められた間の悪さを補うように「ところで、栄組に行ってるオヤジさんは」と聞いた「隆さんかい」「隆?ああそう、隆さんだ。何処へ行ったら逢えるかな」私は思わず聞き込承に声が震えそうになった。「さとられないように落着くんだ」と何度も自分に云い聞かせた。「排天浜の大盛屋と違うか。隆さんたら、あすこのオカミさんに金を貸しとるさかい」女は含承笑いをしてから、いま気付いたように胸を掻き合せた。「パチンコじあなければあっこや」「排天浜の大盛屋、ありがとう」「あんた、顔付けしてもらうんか、それやったら、うちでもしてあげるで」「とにかく、じあ」私はもう凝っとしていられなかった。未ど何か喋りかけそうな女の気配をふり切るように外へでた。意外なほど簡単にもつれていた糸口がほどけた。アンコの吉田l手配師の隆l隆が出入している栄組。そして恩田組、K撞輸だ。手配師の隆さえ押えれば、アンコの吉田の死因は、はっきりする。私はいつの間にか走っていた。排天浜のめし屋街は、すでにひっそりしていた。アブしたアンコが四、五人ぼ1481型

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