KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年6月号
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被害者の吉田は港湾病院で死亡していた。荷役事そして五日目の朝の事だ。私は国産波止場裏の細い露路に面した私設の三十円宿を訪ねた。この地域は地図の上ではすでに区劃整理されたことになっていた。だから私は、何度も近くまできては見逃していたのだ。たてつけの悪いガラス戸をあけると、汗と体臭のすえた異様な臭いが、鼻をこすりあげてきた。入口に荒板で仕切った四畳半ほどの部屋がある。開け放された戸の一部に小窓が切っており受付と貼紙してあった。中年の女が子供に乳か今生せながら、不愛想に私浄見上けた。八前回までのあらすじV連載第三回1471きとめた。全港湾労組でK運輸の線を洗い、一つ一てである。ためにドヤ廻りをはじめた。私もアンコになり澄し故による打殴傷が死因。遺体ほお骨になっていた。たが、そのあとが掴めない。私は吉田の身元を洗う私は検数協会でその日の積荷が砂糖だったことをつつ足で調べまくった。二次下請の恩田組までは判っ西野耕三勝え、be世「おばさん、吉田の友達はいるかい」「吉田、名前なんか判らへんな。奥へ行ってごろごろしている連中に聞いて承、花やつとるわ」女は面倒臭さそうに答えると、汗ばんだ乳房を子供の口から引き離して、抱きかえた。私は「じあ」と声をかけて中にはいった.中央に半間ほどの通路があって、両側は阿段の蚕棚式ベッドになっている。収容できる人員は四十人程であろう.半裸で熟睡している者、表紙が磨り切れている週間誌をぼんやり見ている者なぞ、夫々が思い思いの姿勢で自分だけの世界を、縦六尺、巾三尺のベッドの中に作っている。奥にかたまって花札を引いている連中がいる。通路に坐り込んでいるのが四人、両側のベッドから首だけをだして、金を張っているのが六人、その連中は夢中になっていて、私の入ってきたことに気付かないでいた。ゴンゾーだ、丁べだと眼の色を変えてわめきたてている。私は一番下段のベッドの端に腰をおろすと煙草を一本つけてから何気なくきいた。「兄ちゃん、この頃、恩本。細の景気はどうや」「アカンな」「だけど、吉田が直行でいつとったろ」中細

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