KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年6月号
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瀞》‐鰯》昭和の始め、現在の地青谷に新校舎設立の際、故浅野校長の女子教育における進んだお考えのもとに、飛込台付の二十五メートルプールが建設されましたことは、当時の人々を大へん驚かせました。三十余年の歳月の流れの内に、美しかったタイル張りのプールの底も、十数ヶ所かコンクリートで修繕され、思い出を秘めて水面に映っています。戦前にも数人の先輩が神宮プールに出場、その技を競って立派な成績を納めたと伝えられています東京オリンピックをめざしてが、私の頭の中に浮んできますのは、なんといっても戦後の数々の河童たちです。焼跡か見られる昭和二十三年早くも美しい水を張ったプールで練習に励んだ河童は、翌年、水泳界に名を轟かせていた武庫川女学院チームを破り、兵庫県高校選手権に優勝。この時から県下、近畿、全日本、団体にと目ざましい活躍を続けています。数多い河童たちの中でも、昭和二十四、五年ごろ可児(背泳)福井、芳井(平泳)飛込の坂口、木村、後藤のトリオが、全日本選手権に出場して一、二、三位のメタルを獲得、なかでも坂口修子さんはマニラのアジア大会に出場、海外に名を轟かせる第一陣としての記録を残しています。続いては、今日でも現役として活躍中の江原(背泳)芦塚(バタフライ)津谷、友江(飛込)の河童たち。津谷鹿乃子さんはメルボルン、ローマ・オリンピックへ出場、日本水泳界を背負って立つベテラン選手です。このような立派な卒業生を生承出した伝統あるプールでは、この四月始めから早くも中、高、短大合わせて三十余名の部員が、美しく鍛えた汽体を躍動させて、毎日練習に励んでいます。すでに東京オリンピック候補が四、五人誕生河童たちの活躍の日も近いことでしょう(水泳部顧問・保倉富子)騨驚蝉蝋鍛鯨Z霊鍵垂I上房蕊‐榊F際,話騨罰驚綴
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