KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年6月号
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まるで自分の家の床の間の置き物でも一参る様に外国船を見ていた.轟撰涛塞な毒尊辱詳群鼎私は、そっと、粟津さんをゑた。彼女は、だまって微笑しながら彼女は神戸弁こそしゃべれない。しかしその横顔にはあ神戸がいた。れも神戸に似ていた。(なるほど、な)らふつきれている。大連、新京、台北を考えれば、それらは、いずりありと植民地の総督府のある町というのは、例外なく、日本的メリケン波止場に立つ司馬遼太郎氏後方ばポートビル右が水上署21泥臭さか

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