KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年6月号
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連載第三回ここに神戸がある司馬遼太郎え・中西勝五十嵐さんこんどはどこへ行くのときくと、ミナト、といった。「結構やな」毎月一度、神戸へゆくのが、私にとって蕊ちょっとした楽し承になっている。ひとつは消化不良を解決する体操のつもりだ。もうひとつは、このようなお膳立てがなければ、私が子供のころから抱いていた神戸への食わずぎらいは、ついに不治なものになったに相違ない.もっとも、大阪人にありがちな神戸ぎらいというのも、くつに根拠のあるものではない.下町のサンパッ屋のおか承さんが、山の手の奥さんに反発をおぼえるようなもので、尊敬の一表現といっていい。正直なところ、われわれどろくさい大阪人の感覚からすれば、神戸にはすこしまばゆすぎるようなところがあるようだ。その神戸のまばゆさの光源が、どこにあるか。いわずと知れている。慶応三年以来ミナトに出入りしつづけてきた内外の商船群であり、彼女らが、つねに新らしい感覚を神戸に運んできた。このミナト見物は、わが神戸見学基礎教程に欠かすことができまい。船旗の群れる海1181

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