KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年6月号
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レジャー緑蔭談輯一勺白川渥現代はレジャー時代といわれているが、レジャーはなにも今始まったことではない。昔からあった。鎌倉の頃から徳川時代へかけて、殿様や家来衆は、戦争ばかりしていたわけではなく、大いにレジャーを楽しんでいたことは歴史の教えるところだ。ところが、武士からいつもいじめられていた農民や町入は武士階級ほど大びらにレジャー生活を送ることができない。〃人間扱い〃にされなかった彼らは、生活を楽しもうにも隠れて遠慮がちにやらねばならなかったわけだ。ことに農民は、レジャーどころか、朝から晩まで牛馬同様に営々としてはたらいてきた。こん唾ちでも有馬の労・諜奥の農村へゆくと、生まれてこのかた神一戸へ出て、きたこともないという農家の主婦に出会うことがある。二宮尊徳を守銭奴だ、とまでいった人があるが、はたらくこと自体は決して悪いことではない。芝人間のぎりぎりの悲願はやはり楽しい人生を送ることにあると思う。だから、レジャーを大びらに享受できなかった農民や町人にも、彼らなりのレジャー生活があったことは事実だ。それはしばしば宗教とつながっている盆踊りや、××詣りの旅行なども、一つは人生をエンジョイする隠れ蓑だった。俗に「ウダッが上がらぬ」というコトワザがあるが、ウダッ(税)という言葉は、もともと中世以後の建築用語で、うつばりの上に立てて棟木を支える柱のことだ。だから税のように頭を押えられて立身できぬことをそういうわけだ。ところが〃宇達″という漢字によるともう一つの意味がある。こんにちでも農家の中に、ワラ葺き屋根の上に屋上屋の格好でさらに小さなカワラ屋根を作った空気抜き(ベンチレーター)のようなものを見かけることがあるが、あの宇達の屋根のカワラが、じつは昔の百姓たちの「たのし承たいという悲願」の表現なのだ。武家以外の家にカワラを使ってはならぬと禁じられた181
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