KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年5月号
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「四十八時間ぶつ続けの労働はざらです。一荷役の仕切りが終るまでアンコを帰さないために賃金はあと払いにするや途中でネをあげて帰れば、勿論、賃金は支払いません。だから三日目に船給の中で倒れて眠り込んでしまい、船が出航してから発見されて、香港まで連れて行かれてから密出国者として送還されるなんていう笑えない話もでてくるわけですね」労働研究所の所員の話は、私の想像以上のものだった私はその翌日から簡易宿泊所まわりをはじめた。神戸には公設、私設の簡易宿泊所は七つある。その他に、手配師が個人でアンコを下宿させているような形式のもぐり宿泊所が十四、五ある。私はまず公設から廻りはじめた。三日は忽ちたった。焦りだした。手配師の誰が何処の会社にはいっているかということは禁句らしい。それだけに管理者は話がそのことに触れると堅く閉ざしてしまう。私がいくら歩いても無駄なことを知った。然し、アンコの性格というか、波止場で作業に従事していない時の彼等の生態がどんなものかという事は判った。これは三日間、足を棒にして歩き廻った収獲であった。私は手配師を見つけだす事はやめて、面倒だが、アンコ仲間がら、吉田の身元割りをする事にした。また四日がまたたく間に過ぎた。l次号につづくI想像がついていた。私は支部長に礼をいって外へでた。まだ陽は高かった。倉庫を事務所にした全港湾労組の暗い部屋からでてきた私の眼には、港に照りつける午後の太陽はまぶしかった。先刻まで気付かなかった三井倉庫の鉄筋四階建の白い建物が、不意に波止場を圧している城のように見えた。私はすぐ排天浜にある三十円宿に行くことを考えたがその前に県の港湾労働研究所へ行っておく必要があると思った。疑うわけではなかったが、支部長が喋ったアンコの労働条件というものを、もう一度たしかめておきたかった。海岸通りを横切り、電車道を渡ると、街はふいに明るくなる。私は何故、こうも違うのか考えて見た。気がついた事は、海岸通りと京町通りの間では、若い女性が全く眼につかなかったことだ。倉庫と倉庫の間にビルがあり、ピルの下に三次下請荷役業者の事務所がある.事務所といっても飯場に近い感じである。その街で逢う男達はいわゆる小頭と呼ばれる常一屋労務者達ばかりである。彼等は申し合せたように、紺のジャン・ハー、紺の乗馬ズボンに地下足袋をはいている。そのかっこうは、アンゴの雑多な姿とは全く違う。いや持っている雰囲気が違っているといってもいい。それが何か疎々しい街を形作っているのだ。元町通りの商店街を横切り、国鉄のガード下をくぐって、山手に行く。人通りが落ちて樹々の青さが眼につく神戸の街ほど、区別がはっきりした特徴を持っている所も少ないのではあるまいか。県の労働研究所は、山手の高級住宅街にかかる入口にある.私は古風な赤練瓦建ての建物に入った.私はアンコの死亡事件は伏せておいて港湾労働の実態調査表や賃金支払の方法なぞ、数字の多い書類を見せて貰った。係りの官吏というよりは学者を思わせる男は「アンコの労働というものはひどいものですよ」と前置きして言った。r●11111戸.1*原稿・カットを募ります読書の頁をつくりたいと思います。明るく、ユーモラスな神戸っ子の声をお寄せください。原稿は400字迄住所、氏名、職業、年令明記のことカットは墨書きハガキ弛大です。送先は「編集室」宛*月刊「神戸っ子」をお友達にプレゼントして下さい。神戸を離れているお友達に神戸の香りをいっぱいのせた本をお送りすると、きっと喜んでいただけます。送先を明記して編集室にお申込下さい。6ケ月分¥500(送料共)*本屋さんに「神戸っ子」があります。海文堂神戸元町3③6501文洋堂国際会館l階②81611501

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