KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年5月号
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八前回のあらすじV私は阪神日報の海運記者青木。私は記者クラブの雑談から、波止場でアンコが殺された、ということを聞いたなんでもない事故死として扱われ葬むられてしまったこの事件を、私が追いだしたのは、それから間もなくである。耕三勝・画中細西野私は電話器のダイヤルを廻しながら、私が知っている範囲から想像できる波止場の機構を考えた。そしてアンコ死亡事件の裏に絡まる機構の上での悪の大きさに今更のように恐怖を感じた。検数協会の現場事務所はすぐでた。私の声は興奮で幾分震えていた。「検数協会ですか。阪神日報の海運記者ですが、ちょっとお伺いしたい事がありまして」私は判りきっている事を、ちょっと聞くといった調子で、「四月十二日のK運輸が扱った荷物は何んでしたかねと軽くいった。連載第2回「ちょっとお待ち下さい」「おい、郵船の阿蘇丸の荷物はなんやった」事務所の誰かに聞いているらしい声が聞えた。「砂糖やろ」そんな声が微かに受話器に伝わってきて、「ああ、もしもし、砂糖です」「砂糖」「ええ、四突D岸壁の阿蘇丸でつしやろ」「その他にK運輸の扱った荷役はありませんでしたか」「四月中旬の入港船は阿蘇丸だけでしたさかい、間違いありまへん」「そうですか、どうも」私は阿蘇丸、砂糖という事が判っただけでもう充分だと思ったが、更に慾をだした。「あの、それで、つかぬ事を聞きますが、事故承たいなものはありませんでしたか」「船積証書どおり、七千八百トン」「いいえ荷物のことでなく、たとえば荷役中に負傷者がでるとか」「でまへんやろ、底荷で袋からこぼれた砂糖の詰め替え作業ですさかいな.十二日、十三日はな」電話の相手は簡単にそう答えてきた。私はこれ以上はl〃I必

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