KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年5月号
45/60
〃与兵衛″の「鯛ひらめいつも風味は与兵術ずし」と歌にまで詠まれたタイやヒラメは無論のこと、アナゴ一つを例にとって見ても分ることだ。頑固にアナゴずし伝統を守りつづけ、食いしん坊小島政二郎先生をして、このすしをロにして以来マグロのすし一つ百円もする握りずしが、ばかばかしくなって食べる気がしなくなったとまで嘆ぜしめた、神戸青辰のアナゴずしにしても、つづまるところ、明石から高砂へかけてとれるアナゴが上等で、日本一美味しいことに由来するのだ。だから神戸で不味いすしを食べさす店の板前は、すしの調理士としての資格がないというのが私の持論である。美味しくてあたりまえなのだ。とは言うものの、すしダネも、タネによりけりだが、厚からず薄からず、大きからず小さからず、飯との調和が揮然一体でなければならないし、にぎりかたも、つまんで崩れず、口に入れるとたちまちほぐれるのを上乗とするなど、色々と条件が揃はねばならないとすると難かしいことではある。美味しくすしを食べさすには、車エビのオドリなど、鮮度のごく新しい白身の魚には、ちょっとレモン汁をたらし、食塩をふりかけて食べられるように用意するとか客の方も、飯の方に醤油をつけないように心がけるとか、ショウガはネタを変える度に舌をととのえるためのものであり、濃くて熱い茶を少しづつ飲むのも、このためのものだというくらいの事は心得ていて欲しいものだ。(歌人)一口に神戸の〃すし″と言っても、すしを表看板にしている店だけでも、市内に約三百八十軒はある。いわゆるピンからキリまであるわけだ。それらのすし屋をいちいち試食して廻って、味定めをし神戸ずしを特色ずけるなどの事は誰にしてもできる芸当ではあるまい。それはともあれ、神戸に移住した人が、あるいは旅行者が、神戸礼讃をするときあげるものの一つは「食いもんのうまいこと」である。それは神戸牛、灘の生一本、それに瀬戸内海の鮮魚、この三本建ての味のトリオがかもしだすものであり、改めて神戸っ子が再認識すべき恩恵でもある。ひいては風光の美しさとともに、海幸の宝庫である瀬戸内海の鮮魚の味を生かして作られた〃すし〃を神戸ずしの特色としていいのではあるまいか。すし、と言えば、江戸前のにぎりが、すしの代名詞のようになってしまっている今日、瀬戸内海をひかえ、すしだれの主材料のもろもろの海幸に恵まれ、飯はすし米として一級品の摂津・播磨の谷米とあっては、神戸のすしの不味かろう筈がない。瀬戸内海の鮮魚と、東京湾の魚とではうまさに於て勝負にならない。こればかり、東京っ子がいかに歯ぎしりして口惜しがっても、神戸っ子には勝てない。にぎりずしの元祖といわれる今は昔、江戸神戸のすし木村栄次’411私のよく行く店古林喜楽「銀ずし」花隈のド真ん中にあり高級だが味はうまい。座敷天ぷらのように畳の上に座って並び、にぎってもらうオッなところです。「錦ずし」大将がポIイ・スカウトの出だけに、店のふん囲気も客筋もよい、はっきり値段を覚えてないが、そんなに高くない。店は生田神社東門筋(神大教授)高橋富美子国鉄元町東口にある中古レコード店を南に入った「東寿し」のファンです。一個十円で、普通一回お酒を含めて三百円ほど払いますかしら…。平均十個ですが、食欲旺盛な時は十五個ほど食べますわ(河童天国店主)近藤俊雄元町二丁目本通の「矢倉鮪」は店が清潔で感じがいい。もちろん〃すし〃の味もうまいですね、値段の方は覚えてないが、普通二十個、最高三十個は食べますよ。(神戸市役所秘書課長)吉沢独陽先代をよく知っていた関係で、三劇前の「牛若」によく行く。ここのいなりずしは安くてうまいので家の土産には最適だ。松前の百五十円、お好承の二百円もチョットいけるし、鰻もいい(歌人)
元のページ