KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年5月号
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1211したことになるわけである。いまの当主の高明l禎三両氏は創業者のヒマゴだそうだから、この店は都市年齢の若い神戸としては、古文化財的存在に属する。これだけながい伝統をもった紳士服店が東京にも大阪にもない所を承ると、やはりたった一つの神戸商法の秘密に行きつかざるをえない。販売中心主義ではないという点である。販売とは、戦いなのだ。当然、勝敗浮沈があり、代が数代つづくなどということは奇蹟にちかいことになる。神戸商人のかたぎは、出でて戦うよりも、むしろ篭って品質を芸術化するまでに高めるところにあるのだろう。おなじ摂津で成立した二つの都会の気質が、こうもちがうというのは類ないおもしろさがある。途中、「播新」に寄った。主人の太田君は加古川にあった戦車第十九連隊に入営した初年兵仲間であり、また陸軍四平戦車学校というぶつそうな学校の同窓でもある。私どもが初年兵のころ、ある日教官が、戦車の鋼材はいかに固いかと教え、こころぷに砲塔をヤスリでけずってぶよといった。いわれるままにヤスリをあてたが、キズをつけることさえできなかった。ところが、終戦まぎわにやってきた新造戦車は、ヤスリをあてると、ポロボロと削りクズがおちたまるでブリキのような戦車であった。われわれは自国の戦車をけいべっし、アメリカの戦車にあこがれた。品質のよさというものは、軍人にさえ国家意識をうしなわしめるほどの魅力をもっている。L$

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