KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年5月号
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のとおりや。神戸っ子は文化的で上品で、洋服ひとつ着せてもスマートに着る。ぼくは関西人のひとりとして、神戸の洗練された風俗を自慢にしているくらいや。lしかし」と、まあきいてもらいたい東京にも山ノ手と下町とがある。摂津国のぱあい、大阪が下町で神戸が山ノ手にあたるのではないか。大阪には、東京における山ノ手という、いわゆる選民地帯がない大阪じゆうが、本所や深川、浅草、神田の感じなのである。東京の編集者が「大阪にも山の手がありますか」とよくきく。「それは神戸や」と答えることにしている。理由はいちいち説明しなくても二つの町を一時間もあるけばわかるだろう。さて、今回は、五十嵐恭子さんらにつきそわれて、元町を歩いた両側の商店がガラスをふんだんにつかっているから、見た眼にひどくすがすがしい。やはり、銀座でもなく、心斉橋筋でもない。第一、土曜日の夕方というのに、人通りがひどくまばらなのである「ここが、天下の元町でつせ」と五十嵐さんがいった。そのとおりだ、天下の元町である証拠に有象無象があまり歩いていない。百貨店でいえば、心斎橋筋は売場であり、元町は外商部といっていい。小売りだけでめしを食っていないのだ。むかしの大阪の船場の商家に、ショーゥィンドをつけて小売りもしているというのが、元町の商店なのだろう。「ここへ寄りましよ」五十嵐さんが、小生のレインコートの袖をひっぱった。そこが「元町・ハザー」だった。日本ひろしといえども、ネクタイだけの専問店は、ここしかないという。大胆なものだとおもった。土一升金一升という元町でネクタイだけを売るというのは、商店経営の常織にはない商法である。銀座でも心斉橋筋でも、紳士用服飾店ならもっと多種類なものを置いて収益の多角性をはかっているはずだが、元町の伝統は一業を深かめるところにあるのだろうか。「天下の元町」の意味がわかるような気がした。その大衆的賑わいをいうのではなく、こういう一業の見事さを誇る所にあるのだ。この店のぬし小林延光氏、ただネクタイを見て歩くだけの目的で何度も外国へ行ったという。小林さんふずからがデザインをし工場で作らせ、東京や大阪へ出す。ネクタイの流行は、銀座からではな1911
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