KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年5月号
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で川上了子「エクス・キューズ・ミイ」と云って、思わずハツとした。ここはもう日本なんだ、アメリカでのようにいちいちマクス・キューズ・ミイ」とお断わりしなくともいいのだと思うと急に気軽かつた。わざわざ深夜の羽田空港まで、出迎えに来てくれた母に、一刻も早く逢いたいと、心せくまま税関での検査もそこそこに、空港ロビーへ飛び出そうとして、傍の人の一眉に触れたのだ。アメリカではエレベーターの中でさえ、即座に、「エクス・キューズ・ミイ」と頭を下げる。髪に触れても、いやハンドバックなど持ち物に触れてすら、いちいちエクス・キューズ・ミイと口にするのには驚いたふだん満員電車で足を踏んずけエ方グスキューズ・ミイ意を払って自然と口に出るようになるのは、相当の期間が必要だろう。私などはじ駒のころ、ずい分気を使ったが、うまく口に出ずまごついた。そして自然にエクス・キューズ・ミイと口に出るようになったころは、楽しかったサンフランシスコ、ロスアンゼルス、ホノルルの旅をへてもう羽田空港に着いていた。「エクス・キューズ・ミイ」つまらないことを書いてゴメンナサィ/(第弘回代表息ス神戸現在神戸野田高校教諭)。てもそ知らぬ顔をされ、押し合いへし合いの通学、通勤に慣れてしまっている私には、触れたかどうかも感じないのに、向うから「エクス・キューズ・ミイ」と、云われ顔の赤らむ一」とがしばしばあった。昨年の夏、シアトルのシー・フェアに招待され、神戸市の親善使節として渡米し、シアトルのオリンピック・ホテルに滞在中一日のうちに二、三十回はこのエクス・キューズ・ミイを繰り返していることがあった。階下の食堂に少なくとも一日三回は通ったが厳しいテIブル・マナーに神経を使わねばならず、はじめのこらは苦痛でさえあった。テーブルの上の塩、胡淑、砂糖など取る際、手は届くが、少し伸ばさなくてはといった時も必らず「エクス・キューズ・ミイ」と言って手許に寄せなくてはならないし、途中で席を立つ時はもちろんのこと、スプーンやナイフ、フォークの類の音を高くさせた時も同じである。これはおそらく幼少のころから国民の一人一人が少なくとも、他人に不快の念を与えてはいけないということをたたき込まれ、極く自然のうちに身に付いてしまったのだろうと思った。日本でも「失礼しました」という立派な言葉があるにもかかわらず、あまり利用されていないのは、エチケットや公徳心に欠けているせいではないだろうか。約一カ月のアメリカ滞在中、これほどふんだんに使い、かつ聞いた言葉はない.エクス・キューズ・ミイという言葉を覚えるのは簡単だけれど、あれほど細心に注ントが神戸の出身でボクの愛用しているルノーの会社の社長令息である。その内ジャズの仕事で神戸へ一諸に来ることもあるだろう。.(ジャズ評論家)三原借神戸について語るほど、正直いって〃神戸の町〃舟知っている私ではないが、折りがあれば神戸の町、ことに夜の港などをゆっくり眺めてふたいと思っている。つまり「よく知らないが、ぜひ知りたい」という気持を「神戸」という町に対して持っている私である。昔から叩戸は横浜、長崎と同様に日本有数の港町として発展したことはあまりにも有名である。横浜は欧州風の感じがあり、長崎は大陸風というのか、何か中国恵まれた町こうべ1161

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