KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年5月号
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り慶応の学生バンド時代のことでチエミちゃんとデルタ・リズムポーイズの演奏会で司会・解説の役で神戸へ行ってからもう三ヶ月たった。ボクは神戸へ行くのが大好きである。でも仕事でしか行く事がないから考えて承ると〃神戸をエンジョーイする″と言うチャンスはなかったわけだ。ボクが神戸へ行くと必らず会う人がいる。その人の名は〃ジミー原田〃、山の手のナイト・クラブ〃K〃のダンス・バンドをひきいている長身のバン.、.リーダ-だジミーさんは英国紳士の典型ゑたいなスマートで品のあるジャズメンだ.もうボクが生れた頃から日本に居たんだからジャズの方でも大先輩だが、戦前はアメリカ航路の大きな船のバンドでタイコをたたいていたとの事。ドラムの方でもヴェテランである。神戸で会う人方は先に書いた二人が辞めてしま埴いソノてルヲ港町の神戸と、外人とのセッショクの多い町でダンス・バンドをひきいるにはまさに打ってつけのリーダーだ。この楽団には素適な男性の専属歌手がいる。ハンサムで唄が上手くて、東京に出てきたらきっとスターになれるだろう。でもジミーさんも彼も神戸に居るのが好きと見えて、もうずい分長い事このクラブに出ている。その気持はボクにも理解できる。ジミーさんには二人の息子がいる。二人ともとっても仲良しで人気ジャズメンだ。兄貴は勇クンと言い、鈴木章治とリズム・エースのドラマーをして働いている。なかなかのハンサム・ボーイで調子の良い男である.でも、ときどきボクにこんなことを言う。〃いソノさんが昔ドラムをやってた時、進駐軍のクラブでヌiドにふとれてスティックを落っことしたんだってね〃これはボクの若かりし頃、つま抄弟の忠幸クンは今やバリトン・クスでは日本一になった。ある。学び、ついにバリトンのプレイは右に出るものがなくなった.彼も良い子でハンサムだq混その位古いツキアイなのである。後藤クン(テナー)を加えた。の若いジャズのフレッシュな夕デのゲイ・セプテットでコンデクラから自分の体にピッタリのったので、今春慶大を出た新人のバリトレに持ちかえ、ウエスト、ライナーズに入った。このコムポはサクスの上手な五十嵐明要(アルト)と西条孝之介(テナー)がいたので彼はその二人から大いにんからクラリネットを習っていたマリガンに似ているような気がする。さて、ウエスト・ライナーズののジミーさんの血で一寸ジェリイ血でしこさて、その頃レイモンド・コンこんなことを言って笑う。15サたさ

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