KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年5月号
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商船ビルの窓から海の方を望むと、神戸ならではという、さわやかな初夏の港風景である。しゃれたスタイルのランチが朝の光をあびて忙がしいに航跡をひいている。田中健一郎氏は神戸っ子育ちの海運界の希望を担う人渋い好承でキリリとした折目が引立って見える。海運界のチャンスメーカーとして、神戸の将来をさっそうと力強く語られた。川西英画伯の神戸百景が近くまとめられるのだが、平野〃勝福寺″の印象を私がまとめることになっているんです。あの附近は私の少年時代の想い出の地です。神戸から殆んど離れたことがなく、学校時代も甲南中学甲南高校と神戸の学園だし、わずかに京大時代に京都に多少の縁があったというぐらいだから、当時の神戸はす神戸港は日本のいのち神戸つ神戸の魅力161田中健郎承ずぶまで懐しい。どういう訳か、子供の頃から根っからの芝居好きで、学生時代も芝居はかかしたことがないんだ。大阪の歌舞伎役者の旅興行にでる第一歩を神戸でやる八千代座が大黒座といった頃よく行きましたよ。乗楽館もいまの構えじやなくて、ほんとにいい建物でね、大正時代に全勢を誇っていた名優が続々と神戸へ来てましたよ・先代幸四郎、羽左衛門、梅幸など、の名優の舞台が素晴らしくていまでも印象に残っていますよ。乗楽館の案内ガールは承な緑の袴をつけていたね。雰囲気もいまとは違ってたようだ。松竹劇場は中央劇場といっていたんだが、ここでも、先代雁治郎、中車などを観た記憶がありますよ。今でも歌舞伎はよく観ますね、舞台芸術家としては、市川寿海に敬意を持っています。上京した時など、観たい出し物を選んでおいて時間をくり合せて一幕だけでも観ますよ。立見制の客席でね、こんな一刻は楽しいですね。この他にも、音楽がすぎでYMCAや関西学院の講堂にもよく行きましたよ。チボー・シゲッテイー・テンショオン舞踊団、サカロフ夫妻の舞踊など憶えていますね。学生時代には元ブラが流行していましてね.元町を必ず歩いていましたよ、一丁目から六丁目までね日に何回も歩いたもんだな。元町、トア・ロードなど独特の魅力がありましたね。最近の神戸は多少雑然としたところもあるんですが、それでも、よそに比べればいいでしょうね、先日もある銀行の支店長が転勤で神戸を去るときに、ビジネスマンとして神戸に勤め、阪神間に住承、月に一度東京に出張する、というのは日本のビジネスマンにとってあこがれだったし、最高だったといってました。それだけの魅力は神戸にありますよ、だからその魅力をもっと大切にしたいですね、須磨の水族館、須磨浦公

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