KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年4月号
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49「御立会になったのは、山本先生だけですか」「そうです」「本人を連れてきたのは誰でしょうか」「荷役会社の小頭ですが、荷役事故だといっておりました。この病院に担ぎ込まれる患者はたいてい荷役中の事故です。船のハッチ蓋が落ちて当ったとか、荷役用デレックのワイヤーが切れてそれに巻かれたとか」「つまり外傷に特別の特長は認められない、いや疑う余地はなかったというわけですか」私はたたゑ込んだが、医師よ「そうですね、なんと云っても場所柄ですから、特にって考えませんでした」「なるほど、いや、どうも失礼いたしました」「そうですか、お役に立ちませんでしたね」私は共済病院をでた。結局のところ担当医師からは何も掴めなかったが、吉田を担ぎ込んできたのがK運輸の荷役監督と小頭の二人であるという事が判った。神戸港の港湾荷役は、船会社に直結する三井、三菱、川西倉庫の三業者があり、この下に六大元請荷役会社がある。K運輸は六大元請会社の一つである。元請会社の下に二次下請荷役業者がいる。常一屋労務者を五十名前後を持つ中資産の会社組織である.二次下請業者の数は六十一社、このドに三次下請業者があり、この数は二百四十数、三次下請業者は個人会社であり、親分、子分の関係で結ばれている。したがって従業員と称する常一屋労務者も七、八人から二十名どまりである。更にこの三次下請業者に出入する手配師と称する人入れ業者がおり、手配師が日雇労務者の就業あっせんを行っている。しかも、三大倉庫から手配師に至るまでの縦の系列は本家、分家、兄弟と呼ぶ前近代的な従属関係にある。三大倉庫と六大元請会社は、経営の危険分散を口実にして従業員を減らし、下請業者に荷役を請負わせるのであるだから、倉庫出し入れ貨物運賃が一屯あたり三百六十円とすると、三次下た業者はトン当百七十円で仕事をしている。ここに完全な労働窄取があることは公然の事実だれている。動揺があれば何かあるのだV私は待たせられている間じゅう、そんな事を考えた。医者が入ってきた白い手術着にマスクをしている。「山本ですが」マスクの中から低い声で云った。「吉田守夫の死亡診断書をだされた山本先生ですね」「そうですが、何か」「阪神日報の青木という者です。実は、アンコの吉田が死亡した原因についてお伺いしたいのですが、死因は」「脳内出血です」

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