KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年4月号
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に戻りたいですよ」「嘆くことはないさ、うちなんかM新聞の支局よりしぼったいだぜ。ところで、その話、いつの事」「詳しくは知らないのですが、殴ぐられのは一週間ぐらい前のような話でした」「ふ-ん」私は生返事をしながら余白の日付に視線を走らせた。六月九日、一週間前だ。私の眼はきっと事件屋のように光っていたに違いない。だが、私は興味なさそうに「もっとも、アンコ(日雇労務者)の話じあ、あんまり信用はおけないな。奴等ね、だいぶ被害妄想だしさ。だから警察も簡単に調べて放りだしたんじゃあないかな。これが、背後関係に麻薬が絡んでいるとで‐もいうんならまた話は別だが」「でも、うちの社会部の奴がききだしたのは検数協会のターリマンからでしたよ」「それにしてもネタという程のものじゃあないよ。デスクが潰したのは無理ない。俺がデスクでも、没だよ」「そうですかね、非人間的だな。新聞社の考え方って」「どうしてだい」「だって人が一人殺されたんですよ。アンコでも人間には変りありません。もし、殺されたのが一般の社会人だったら、警察も新聞社も放っておかないでしょう」私は黙っていた。私だって表面は興味のないふりをしながら腹の中では、この事件を追う気になったの‐も「アンコだから、警察が簡単に調べて投げだした」という事に対する怒りに近い気持からだった。「さてつと、何もなければお茶でも飲承に行ってくるかな」「待てよ青木さん、この一盤終ったら一緒にでるから」「彼女と逢引きさ・一緒にでられたんじゃあたまらないよ。お先に失礼」私はできるだけ感付かれないように、記者クラブをでた。商船ビルをでると、海岸通りを、関西汽船の埠頭の■814l方に向った。共済病院は。関西汽船の埠頭の入口にあるぐづつきそうだった空が晴れた。強い陽射が照りつける臨港線の貨車が鐘を鳴らしながら端ぐように追い抜いてゆく。私は日蔭で昼寝をしているアブレのアンコ達を横眼で見ながら次第に足が早くなった。何かある。何かあるに違いない.四十八時間ぶつとおしで働かされたアンコ達のどす黒い顔を見ながら歩いて行くうちに、私の予感はだんだん現実性を帯びてきた。共済病院は労災保険が日雇労務者にも適用されるようになってから、新しく建てられた港湾労務者専用の病院である、中にはいると、外観のスマートさとは、おおよそ縁遠い患者ばかりがいる。どの顔も疲れ切って呆心したように虚ろな眼をしている。外科の受付で、私は新聞社の名がはいっている名刺をだして、事務員に来訪の理由を云った。「四月十三日、こちらで死亡しました吉田守夫というアンコ、旦雇労務者ですね。その吉田についてちょっとお伺いいたしたいのですが」事務員は外来患者名簿の綴込承をめくって「吉田守夫十三日ですね」といいながら私の顔色を上眼づかいに何度も見た。「四月十三日、ありませんね」「じゃあ、十二日を見て下さい」事務員は面倒臭さそうに、また綴込承をめくった。「吉田守夫、それです」私は受付の窓から首を突込むようにしてゆびさした。「十二日夕刻入院、成程、吉田守夫二十九才、外傷ですね」事務員は私の要求に困惑の色を浮べながらそばの看護婦に「君、この方が外科の山本先生に面会したいそうだから、山本先生を呼んで」と私の名刺を渡した。私は応接室と書いた小さな部屋で待たされた。いらいらして、煙草を続けて吸った。八担当医師の最初の顔色読むことだ。医者は死人に慣

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