KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年4月号
45/58
ところで日本における中華料理は相当古い歴史をもっており、ミソ、ショウ油、ナットウなどは中国から伝わったもので、黄ばく山(オーバクサン)の普茶料理、長崎の卓祇(タクフク)料理などは中華料理を真似てできた日本料理です。また日本にあるチクゼンは、中国の八宝菜の一種に属し、おすしも中国から伝わったものです。もちろん〃おにぎり″とか〃のり巻き″などのような純日本のものは別問題です。中国のおすしは、フナ、川魚などをコウジなどで発酵したものを用います。また、チャンコ鍋は、漢字で「清国鍋」と書き、これを中国の標準語で読むと「チャンコ鍋」lつまり中国鍋という意味になります。当時の清国鍋は、ブタ、カシワ、アワビ、タケノコ、シイタケカプラ、大根、人琴、コイモなどをたき合わせたものである。近年のチャンコ鍋ば、材料が多少かわってサバ、アジ、エビ、タコ、ブタ、カシワ、その他大根、ハクサイ、それに貝類などいろいろ使われています。チャンコ鍋が、相撲食となったのにはこういう伝説があります。「江戸蔵前に、ある漢方医がいました。この人の師匠は長崎のある中国の有名な漢方医で、この師匠について外科を学び、江戸に帰って開業した。その折りに習え覚えた中国の食事「清国(チャンコ)」Ⅱ当時の中国の名称lを作ったところ、場所柄、関取たちがよく出入りし、この「清国」を大へん気に入り、自分たちの相撲部屋で始めた」とうことです。神戸には、いま約百軒以上の中華料理屋があります。しかも経営者はほとんどが中国人で、本場ものというのですから「神戸の中華料理は、おいしい」と、評判なのもうなずけます。一口に〃中華料理″といっても広東、北京、四州、台湾料理…と種類はいろいろです.とくに料理法、味つけでいちばん古い伝統を持つのが「広東料理」だということです。そこで中華料理の権威であり、阪急宝塚家庭料理学校はじめ、テレビなどで本場の料理を指導していらっしゃる、梁耀庭氏(法学士)に「中華料理総論」といったものをお聞きしました。梁氏は神戸の山手にお住いの親日家です。中国文化の発祥地であり、又中心地として知られる洛陽に「宋」が都を持っていた時の古い話になりますが、その宋の最後の御門丙(ピエン)の時代に、万里の長城の塞外(北)にいたモンゴール族のジンギスカン一派の攻撃を受けました。このため御門丙は一族郎党をつれて洛陽から崖山(ガイサンー広東省)まで逃げのび、ここで御門が身投げをするという事変がありましたが、このとき御門とともに逃げのびた料理人がこの崖山に住承ついたために、古えの伝統ある中国料理が「広東料理」となったのです。広東料理には、フカのヒレや、中華料理あれこれ梁耀庭ナマミッバメの巣などがよく使われています。シュウマイも広東料理に入いります。北京料理は、もともと山東の人たちが作り出したもので、そのせいか神戸、大阪の北京料理は山東出身の人が多いということです.一般に北京料理は、上品で日本人の噌好に合っているといえます。カモの丸焼き、鯉の丸揚げ、有名なピータン、その他たくさんおいしいものがあります。ことにぎょうざは北京料理に限ります。四州料理’四州は北アルプスの尾根ぐらいの高原なので「山のさち」が多く、ウズラ、シギ、カモ、山のいも、スッポンなどの料理が有名。また搾菜(チャチョイ)というお漬け物は世界的にも知られています(日本でいえば、味が鹿児島のつぼ漬けによく似たもの)こう承ると、お茶漬けは日本の専売特許ではないようですね。中国のお茶漬けはほとんどがおコゲで、おコゲにお茶をかけ、チャチョイで食べるのです。台湾料理はフッケンの系統をひいたもので、すて難たい味があり東京、大阪に多い南京飯店は、上海、南京辺りの料理を代表しています。このほか世界各国へ中国の人が移住したために、そこの地方の特産を応用していろいろの料理ができています。ことに香港、上海、サンフランシスコ、ロンドン、・ハリ、シンガポールなどでは、外人観光客専用の高級料理屋が設けられています。これらの店では、ホーク、スプンを使うし、多少洋風化した点も編承出されているようてす。1411
元のページ