KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年4月号
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その頃外人から受けた影響は見福富そうですねやはり洋服を着てても、ちゃんとした場所へ行くとき。例えばこの座談会に出るとものがあのをこな歩進んだうことにそれと、秀れているっていうのは、土地が明るいことが大きな原因ね、例え福富きまえた服装というものが、最近きとか、ときとでしょう。題になってきます逃がせません。例えば市場へ行くのに、手袋、帽子をつけて出掛けるといった、お婆さんを見てると、〃あれが外国の服装かな″と思って、自然に覚えるでしょう。そういうところから神戸の人のいろいろな、洋服室賀かえって生まれてくるゑたい。な若い人たちから、実際に則してように着物の伝統を知らないようね。それも室賀さんがおつしやたでき』て、ざぱ、大阪神戸ではめて困るそうい山手のあん住んで方が少なう。神大阪の人が泊まりにくると、神戸の人たちの色彩感覚がそういうことですね戸ご色彩りましてね。そういうもしたうえで、それから一ものが「おしゃれ」といなるんだろうと思います着ていく場所や時間が問明かるすぎて早く目が覚っていうんですよ。う土地と気候の関係と、たりでは、外人がたくさいて、かえって日本人のかつた頃があったでしよ家で仮り縫いなどしてるは全然気分的にも違うでそういうエチケットをわましたわね。ごく自然にソの着方のセンスというものが生まれたといえますね河野そうでしょうね。複写じゃなくて本物をゑたということね。ところで今の若い人たちは、あらゆる色を着たいんですって.自分の色を決めるといってもわからないし、色を承ればふんなキレイでどの色も全部着たくなるそうよ.そしてね。高いものは手が出ないので、いろんな色のセーターを揃え、セーターとスカートであらゆる色を着こなすんですって。福富それは実際から出てきたエチケットというか、おしゃれじゃない。だいたいいろんな色を着たいというのはひとつはこの頃の流行なんですよ。今は色のおしゃれ時代でしよ。女はとくにね。それをセーターで着こなすということは確かにいいことよ・とくに神戸ってところは、男女を問わず色というものを着こなす実力が昔からありますね。そのクセ、銀座や、大阪の心斉橋で見つけるjうな、いわゆるちょっとイカれたようなものには飛びつかないのね。一応ちゃんとこなしてるのよ松井いいところありますね芳賀神戸っ子の株があがりましたね(笑)室賀たしかに、大阪、東京にない、いいセンスをもってますよ福富だからトップ・モードというのは銀座とね、この頃は心斉橋の方が早いわ。神戸ではすこし遅れるけれど、そのかわり見たものでなく、自分でこなしたものを着てますね。つまり神戸の人は〃流行″を一応批判してゑて、わからなきゃ、飛びつかないのね。それ03は昔からですけどね松井神戸人の常識ですね河野それから少し年をとった三十代になると、逆にあらゆる色を着たいと思わないそうよ、若い人たちは安いものでもいいっていうのに、そうした年代はできるだけいいものを、それもいいものを着てると思われないような着方をしたいのですって。福富それも神戸のセンスね樫井男性も色の調和ということには神経を使ってるでしょうね。ただそれが上手にいってるか、どうかの問題でね(笑)河野でも男の人が、色物を着ててもおかしくなくなりましたね。うち(ラジオ関西)などは商売柄かもしれないけれど、ゑんなハデな真赤なものを着てますが、おかしいと思いませんね芳賀だけど、中年になりますとね。ワザワザ買ってまで赤いシャツを着ないでしょうね。もっともレジャーブームで家の中では着てもいいんじゃないかというので案外、家では着てるかもしれませんが(笑)松井そういう人が多いですね。また、それはいいことだと思います河野つまり、お勤めとは別なんですね芳賀フン囲気がね、着られないフン囲気なんですよ。新聞社とか放送などマスコミ関係の人は、大タンな服装をしますが、あそこだけですね河野そりゃそうですね。銀行などで真赤なシャツなど着られないわね(笑)芳賀一般の会社じゃ、そういう

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