KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年4月号
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・ダグラスに似た風ぼうで、鼻の下とあごに、ひげをはやしていた「ぼくは大阪うまれなんですよ」「たまに大阪へ帰ると、町の人がぼくのヒゲを承て眼をまるくするこれが東京へゆきますと、ゑんなが口を揃えてほめてくれますな」自分をサカナにのんでいる。大阪の驚きはダンディズムに対する無智であり、東京の賞賛は、ダンディズムに対する背伸びであろう「神戸では」と中西氏はいった「だれもふりむきませんな」それほど神戸という町は、ハイカラの伝統の根がふかい。だれもふりむかぬというのは個人主義がそれだけ確立しているということだ。だれが、どんな服装で歩いていようと、それは勝手だ、という精神は、日本の社会では驚嘆すべき異風土といえる。さて店のこと。店名はアカデミーといい、マッチのおもてには、「翰林院酒騨」とかいている。この重厚な、工芸的美しさのある五個の漢字を、主人の杉本栄一郎氏はひそかに愛しているらしい。店は、十八世紀の内部をおもわせる造りで、いわゆる風俗営業のバーではないために営業用の女性はいない。酒なかばにして、主人がようやくあらわれた。テレビを見ていたのだという。客は酒をのゑにくるものだ、主人の愛想顔を見にくるものではあるまい、という堂々たる見解が、六十三才の風ぼうに出ている。「若いころは明治屋にいましてな」明治屋では、入港船に商品を入れる係だったという。船内を見まわって、そこでバーというものをはじめて見た。これを、オカでやってゑたいと思った.「最初、店は、上筒井の関西学院のそばでやりました.そのころ学生だった竹中郁さんも来てくれましたし、先生の阪本勝氏や、河上丈太郎さんもきてくれましたよ」「創業は何年です」「大正十一年でした」私はまだ生れていない。その前年である。おどろいて、1201
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