KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年4月号
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L一連載ここに神戸がある18①ハイカラの伝統私は大阪で生まれた。無智がまるで大阪人の特権であるかのように、神戸を知らない。「神戸とはハイカラな街らしい」という概念だけを持って、三十八年をすごした。神戸には数度きた記憶があるが都心部へきたのは、はじめてといっていい。帰りは、夜の十時半になった。へんに酒場の多い町(なんという町名なのだろう)で、神戸新聞論説委員の青木さんと、学校の先輩の神崎さんにわかれて、大阪へのタクシーに乗った。五十すぎの運転手は話ずきな人物で、「自分はきっすいの神戸っ子で四人の子持ちです。ええ、娘ばかりです。上は短大で、下は中学三年です」すこし酔っていたから私はねむりたかったのだが、運転手は話をやめなかった。「神戸は兵庫のうまれですがね。親代々の選挙ずきで、市議選では××さん、衆院選では○○さんの応援をしています。××さんの選挙では弁論部をしています。次の弁士が事故で遅れてツナギのために二時間四十分しやくったのが私のレコードです。学生時代から選挙がすきでしてね」「学生時代?」「ええ、上筒井時代の関西学院です」。円臣w溶些十八師即吟兄・市干奉出陛粉

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