KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年4月号
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なことはいわないが、よく胸に手に女尊男卑の西欧でもこの世界だともあれこの講演のおかげで、思いがけなく「同性観」をまとめるチャンスが得られたことは幸運だった。男性について書かれた二三の本を読んだのも、切羽詰まった結果だし、今まで読んだ小説のあれこれを思い出したのも収穫だった。ところで、いざ、男性というものをマナイタにのせて料理するとなると、よくもこれほど悪い点があるなといまさら感心させられるほど、マイナスばかりがとび出て来たのには少々うんざりさせられた。むろん見かたで欠点が長所になったり、その逆の場合があったりすることは大いにあり得ることだが、とにかく拾い上げて承る気になれば、予想以上八嫌な感じVが、自分ら男性の身心にまとわりついていることを、ほとんどの男性諸君は認めて苦笑せざるを得ないだろう。ではその中から、これは:…・と思われる男性の〃固有特性″を並べて承ようlケチな根生、虚栄心、ホラ吹き威張る癖、嫉妬心、飲酒癖、浮気闘争心、功利性、好色、不始末さ浪費癖等々……まだまだ数え上げればキリがない。むろんこれらが全男性に共通のものといった無礼ほどは大した自信がない)が、さて今になって思い返せば冷汗もの……というのは、〃図々しさ〃があったれぱこそやれたわけで、男性の一人として自分の〃赤裸々な男性のうらおもて〃を婦人連に打ち明けるなんて、およそ普通の神経ではやれるものではない。を当てて承ると、いまさら思い当たる人々もかなりいるのではないか。恋愛時代はケチでなかったのに結婚してから妻にはひどくケチになった夫、組合や各団体のバッヂや名刺に刷りこんだ肩書に見られる虚栄心.金もないのにおごりたがるくせ。酒という名の情婦を持った男たち。自己宣伝のうまい男たち。上役に。ヘコペコする要領屋知人を踏承台にして上がる陰謀家lと、どれをとってもあまり感心できる振舞いではない。「男は神でも悪魔でもない」という言葉はこども時代から耳にしているが、といってこれらの欠点を眼前に洗いざらし並べたてて承ると、男性というより人間性というものは、所詮〃やりきれぬ存在″だなということをつくづく感じさせられる。ことに浮気というやつは、いくら日本の現代女性が浮気の点でも進歩的になったとはいっても、まだまだ男性本来の最大特権(女性から見れば最大欠点)のようだ。社会学者や心理学者は、男が生まれつきホレッポイ原因や後天性の社会的理由などを挙げていろいろ証明しているが、この道だけはすべてどの文明国も共通らしく、かのうランスの賢人モンテーーュさえも「女が一度自分のものになるや、自分はもはや彼女のものではない」といい、ロシュフーコォも「他の女に浮気せずとも、ひとりの女の中でたえず浮気する」とい承じくも喝破している。またレオン・ブルムは、「人類は事実上一夫多妻だ」と宣言している。いか61けは完全には取り締まれぬらしいもっともクレオ。ハトラは一夜に百六人の男を替えたというし、清少納言や和泉式部についで現在の日本才女群の中にもかなりの女性がいることはたしかだが、どうも女性のほうはこんにちの社会のありかたでは、やはり浮気はトクにならぬ場合のほうが多いようだ。だから男性の浮気は大いに認めてやるべし、へ夕に内政干渉することはよけいに問題が悪化してくるlと私が例の講演会で婦人達にしゃべったかどうかはご想像に任せるが、いずれにしても大賢人まで認めている男性の〃鉄点″を、ちょっとやそっとの努力でたたき直すことはできないだろう。そこで、八そこはそれ、奥さんがたや恋人たちの賢察と扱いようの上手下手一つですよVとおそるおそる女性に申し上げるよりほかしかたがないわけだ。といって、この節は時代もうんと変わっていることだ。どんな質問と追求と、うっかりすればツルシ上げが行なわれるやもわからぬと、講演が完全終了するまでは、じつは内心ヒヤヒヤしていたのだが、どういうわけか、この男lツルシ上げにも価(あたい)しないということだったか、それとも憐びんの情ですませてもらえたか、二、三の無難な質問が出ただけで当日は無罪放免となりホッとしたしだい。どうやら当日ご出席の奥さんがた(ほとんどそう見えた)は、私の話をきいて、男の考えはだいたい似たものだと思ったのか、それとも自分の主人のほうが男性として私よりだいぶん信頼がおけるらしいと、心中大いに安堵したためだったかもしれない。(詑・3.廻)l神戸新聞論説委員I
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