KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年4月号
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第一、気候がよく、食べ物もおいしく、そのうえ物価が安いというのだから文句のつけようがない布引の滝、六甲山、摩耶山、そして港の近辺は、今も昔と変わらず僕の好きな場所だ。しかし正直いって僕がこよなくく愛し、憧れた〃昔の神戸の面影″は今はほとんどなく、わずかに北野町と港の周辺に、その鋸残りをとどめているだけで淋しい。ご存知のように戦前の山の手辺りは日本人より西洋人の方が多くちょっとした外国の田舎(?)といった感じだったが、いまはその西洋人の数も減り、昔ほど山の手辺りは好きになれない。また、山の美しさが、しだいにはぎとられていくのは残念だ。山を削るのもいいが、削ったあとの始末を忘れていただいては困る。公園や芝生を築き、近代的な住宅地にするのも結構だが、美しい山ハダがはがされていくことは〃緑の美しさ″を愛する僕にとっては耐僕の愛する〃神戸〃朝比奈隆13随相ノ巳、美しい緑の山々と、港からなる〃神戸の町″は、若い頃の僕にとっては憧れの町だった。そして、その神戸に住承ついてから早いものでもう二十年を数える僕が憧れた頃、つまり昔の神戸は、とても美しい町lとしての印象が強く、エキゾチックな匂いのするすてきな町だった。そんな町で音楽の仕事をすることは幸せだと思いつつ、いつの間にか〃神戸っ子″のような存在になってしまったのは、僕が.″神戸〃を愛しているからなのだろう。町のす承からす承までを知りつくしているわけではないが、神戸は日本で一番美しく、またサンフランシスコよりもはるかにすてきな〃ゑなと町″だと思っている.企えられない。ところで〃神戸港″が、〃横浜港″とともに「世界の貿易港」としていまもなお存在していることは偉大なことだ。それだけに戦後、神戸に外国人がすぐなくなったことは惜じまれてならない。貿易港として栄え、また、貿易港としてさらに発展せねばならない〃神戸″の性質を考えるとき、もっと積極的に国際的な交流に力を入れるべ、きで、そのためには、もっと外人向きの住居をふやし、同時に世界中の人が、気楽に住めるという町にしていくことが大切だ。。ハリが世界中の人たちから愛されるのは「インターナショナルの雰囲気」にあふれているからで〃神戸″も〃パリ″の如くあってこそ発展しうる町だと僕は思う。神戸市あたりが、外人クラブの敷地を提供するぐらいの積極的な態度をとっていただけないものだろうか。(関西交響楽団指揮者)‐】

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