KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年4月号
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》》ご主人の榎並正一氏(甥)は、諏訪山生まれの生粋の神戸っ子。うまれてすぐ須嘩離宮近くの桜木町の家に移って現在まで、学生生活の何年間を除いた他は全く神戸の人。「今さら神戸を語るというわけにもいかんだろう。神戸は巣ふたいなもんだからな…:.そうだな、いの家の少し上あたりに広場があってよく野球をやってたもんだ。竹中郁さんもよく野球をやってたよ。あの人、ちょっと変ったのが好きだから、ふんなが黒の靴をはいているのに、たしか彼一人だけが赤い靴をはいてたよ:.…。僕より上だけど覚えているよ」(笑)学校は須嘆浦小から三中、慶応のコースで、学生時代を過されている。「ちょうど、広野ゴルフ場から帰えってきたばかりなんだが、ゴルフのことはあんまりいいたくないんだよ.・・・..なにしろ、ゴルフ歴ときたら途方もなく古いんだが、いっこうに腕の方がいっしょについてきてくれないんゼ」とニッコリ笑われた精惇そうな顔つきに、笑いが陰いってくると途端に柔らかな人間ホームスケッチ春は家族そろってドライブ霞鱗味のゆたかないい顔になってしまわれる.幸子夫人(“)はすてきな近代美人「ゴルフにいっしょに出かけたころもあったんですけど、私もあまり上手でないの、夫婦でゲームに出場するときはきまってビリ」と笑って話される.ご主人も奥さんのご自慢は洋酒のミーーィチュアだろうと、書棚にいっぱい並らんだミニィチュアを指して説明される。「せんだって、テレビで同じように洋酒のミニィチュア収集家を紹介していたんだけど、その人のミニィチュアより多いので感心したんだよ」とご主人もテレビを見られてからだいぶ自信をもたれたらしい。幸子夫人にそのきっかけをききますと「最初、外人の店の方から五、六本いただいたミニィチュアを並べているうちに、だんだんふえていま一八○本集まってしまったんですの」ということ。lお子さんたちはlとお尋ねしたら、ご主人はご気軽に春休承で帰省中の長男、正三さん(犯)と、お嬢さんの元子さん(巧)のお二人を紹介してくださいました。正三さ鍵議蕊灘灘議一一識識識溌識溌識溌181幸子夫人ご自慢の洋酒ミニイチユア榎並正一氏とその家族(阪東調帯K・K副社長)蕊歓談される榎並正一氏夫妻

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