KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年3月号
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⑪』§昨年十一月、ロシアン・バレエ育ての親である故バラスフ・ニジンスキー氏の未亡人ロモラさんの招きで、憧れのパリに遊んだ宝塚スター明石照子さん(雪組)は、き生うも舞台で「幸福を売る人」を口づさ承ながら楽しかったパリの想い出にひたっている。l憧れのパリの印象はl明石招ねいてくださったロモラ夫人の急病で予定より一週間早く切りあげたのでパリ滞在期間は正味八日間だったけどIそりゃもう〃ステキだった″の一言やね。モ二人のヒロイン明石照子/訪問記喜美花代/写真ill繍灘患1491(自宅でくつろぐ明石照子)ンマルトルの石だた承を踏んだのも、凱旋門からシャンゼリゼ通りを歩るいたのもまるで昨日のことのようだわ。とにかく思う存分パリの空気を吸ってきました。十二月のパリっていうのは、灰色で暗く、いつまでたっても夕方ゑたい。でも全体に町の照明が立派ね。ちょうど銀座の明るさ程度がず-と続いてるのょ。なんといってもモンマルトルの丘の夜景がキレイだったわ。それとバリってところは公園が美しいですね。凱旋門からシャンゼリゼの一番下のところにある公園なんかでも小さいけど美しいわ。またどこのお店の女店員もキレイだったし、街頭の花売屋さんも珍しく、かれんなスミレが花盛りだったのも情緒的でした(想いはパリに飛びワットリした表情);●lどこに泊ってらしたのですかl明石ガスティブリオン通りというところにある「ホテル・ロティ」でした。この辺はとても高級なところなんで招ねかれた身としては気がひけました。(笑)何しろ・ハリは評判どおり物価が高いのにはビックリしたわ。lずっと和服で通されましたかl明石始めはそのつもりでいたんだけど、タピの洗濯が大へんなのと、食事のときにジロジロ見られてノドに通らないなどで、ほとんど洋服で通したわ。第一動きやすいものね(笑)lやはり商売がらあちこちの劇場やナイトクラブを見学してこられたでしょうね。l明石それはもう一と通り欲深く見て歩るいたわ(笑)モガドールのオペレット「ベラ・エレン」アルファンブラ劇場ではヘンリー・サルバドールのシャンソン、世界的な社交場ナイト・クラブ「リド」のショウIここでは踊り子たちがキレイな羽毛をぜいたくにつけてるし、髪飾りがキレイだし、衣装には本物の宝石がフンダンに使かっているのには驚くやら、うらやましいやらでした。それからカジノ・ド・・ハリやナイト・クラブ「エルポン」のレョウや、モンマルトルにあるシャンソン小屋で有名な「エクリエーズ」にも行ったわ。シャンソン小屋っていうのは昔からあったもので、狭い小屋がけにピアノ一台置いて、お酒を飲説ながらシャンソンに聞きほれるといった趣向で、とても大衆的なの。いまも昔の面影が残ってい

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