KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年3月号
50/58

行違いのできないような狭い道を一ぱいにふさいで牛が寝そべり、時々悲しげな砲嘩を放っていた。ところが、その砲嘩の前に必ず、ハナ・ハサという音がする。懐中電灯で照して見ると、二羽の鶏が足をつながれ、それが羽根を.ハサ・ハサとする毎に牛が砲峰するのである「お前だな、牛泥棒は」これまでは誰でもが推理するのであるが、次の一句が梅野巡査を名探偵にした「そして、この鶏の羽根で、牛を.ハサ・ハサやらして、スピードを出し、早いこと逃げやがつたな」里「何じゃ。牛のお産?」時刻は午前四時頃である。春山村駐在所の梅野巡査は、まだ明けやらぬ表の戸を叩く音に、しぶしぶ起きて出て見ると、一人の男が、臨月が迫まったので、仔牛を産ましに連れて行く途中、牛が陣痛で苦しゑだしたので、何とかしてほしい、と言うのである。兎に角、現場へ行こう、と梅野巡査は制服もそこそこに着て、懐中電灯を手に、男を先に立てて急行した。現場は、川添いの道で、片方から山が迫っている。車一台通れば=ji美しい花々が咲き乱れるようになるかも知れない。花といえば、いつだったか、ウィーン・オペラ・ハウスの記事を何かの本で読んだことがある。都心にあるこのオペラ・ハウスの換気には特別なしかけがあって、場内の空気は、すぐ窓の外のリングストラーセの並木道から取られるのではなく、はるかドナウ河の分流であるウィーン川の、両岸にひろがるバラやヒヤシンスの花園の〃花いっぱい〃とか〃しあわせの花″とかいった運動が、急に声高く叫ばれ出した。神戸の町も、これらの声に乗って、やがて歩道や、市電、・ハスの停留所などに、花時計花で飾るにふさわしい都市へ●松井高男凸Iたくをいうまい。花の種がまかれるというだけでも、うれしいことではないか。ついでのことに、市民が〃市″をつくるのだということへの明確な認識が、〃花の種″から生まれてくるといっそうよい市民の市政への積極的な参加によって、神戸市を〃花で飾るにふさわしい都市″にしなければなるまい。(神戸新聞学芸部長)I■■■■祝倉リ刊「神戸っ子-,■●亀1461出H反TEL⑥0897色一一一一

元のページ 

page 50

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です