KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年3月号
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●女はそれを知っている●亜奈木寿人p●凸だから塩見は今日だって、武田尾で汽車を降り、宿に着くまでは、たまにはオレだってl、と強いて四十八才という自分の年令を忘れようとしていた。ところが岩風呂で、葉子のあどけない素肌をひとめ見た塩見は、葉子の純潔を見破るまえに、娘の千恵子を思い出してしまった。女学院に通っている一人娘の千恵子も、葉子と同じ二十一才だった。瞬間、ヤポなことを思い出したばかりに、年令的な理性が、どっと塩見に戻ってきた。すると、連休を出張と偽ってきた妻の顔や、乗馬クラブの遠乗りを楽しゑにしていた娘の顔などが、聞えてくるせせらぎの中でくるくる回っただから塩見は、戻ってきた理性に従うためには、コップ酒以外にはない、と思った。そのころ葉子は、湯殿の化粧鏡の前で、眉毛をかきながら、久し振りに、こんなにのんびりできるなんて、パパのオ陰だわと思いながら、フシと、小肥りのした、血色のいい塩見の体を思い出し、プルッと身震いした。パパだからって、男に違いないだが葉子の不安は、直ぐ消えたオ銚子の三本もすすめれば、。ハ。ハPINKCORNERひんやりとした部屋の空気は、窓を掠めているぼたん雪のせいばかりではなかった。逃げ出すように湯殿から部屋に戻った塩見永二郎は、この宿につくまで、ひそかに暖めていた思惑とは反対に、たったいま湯船で見た、葉子の二十一才の素肌に奇妙な不安を感じ、悔に似た、自責に苛まれ始めていたからである。それだけに、聞えてくる武庫川の、岩間を走るせせらぎにも、塩見は湯の町らしい情緒も感じなかったし、葉子に抱いた、八女Vへの夢も廷ってほこなかった。塩見は、神戸の京町にある、丸尾産業の営業課長だった。ポスト柄、塩見には、招客専用のバーやクラブが二、三軒、三宮にあった。そのうちの一軒、クラブQに、葉子がいた。二月の初め、その夜も塩見は、客を案内してクラブQのボックスを囲んでいた。「静かな温泉へ、いってゑたい…」という葉子と、何気なく、塩見が約束してしまったのは、その夜の酒のせい、ばかりではなかった。うぶ毛を思わせるような、葉子の柔らかい皮層の匂いが、あまり塩見に身近すぎたからだった。□1431ここに二枚の風景画があります一つは〃前景″一つは〃後景″という題がついています。〃前景″の方には世の中でもっとも美しい風景が描かれています。まず〃ヴィーナスの岡″とでもいいたいような二つの丘陵が目につきます。雪のように白いオカの上に、サクランボが植えてあるのも、目の覚めるような美しさです。「花咲ける騎士道」というフランス映画で今は亡きジェラール・フイリップが屋根の上から、この風景を見おろして「何と美しい谷間よ」と叫んだのもムリではありません。この〃二つの岡″に愛着を感じつつも、目を転ずると、噴火口の跡らしいものが見えます。こんどは森が見えてきます。敬虐な詩人はこれを「神の森」と呼びましたこの森に囲まれて一つの泉があります。この泉からは、甘美な蜜がコンコンと湧いてくるという話です。そこから、これまた美しい二つの尾根(オネ)が彼方に続いています。〃後景″の方は前景より単純ですしかし、その傾斜のなだらかな曲線の美しさといったら、思わずスキーでもしたくなるほどです。その美しい坂道をおりると、二つの岡がそびえています。ある詩人は「平手でピシャリとたたいて承たくなる岡だ」といいました。(T)火情
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