KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年3月号
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昔から神戸には、音楽がはやらないというジンクスいめたものがあるようだが、こんどの『江利チエミとデルタ・リズム・ポーイズ』では正直いって大阪、京都よりもはるかに神戸の方が湧きましたね。それに雰囲気がいい。拍手一つにしてもツポを心得ていますよ.だいたい僕自身は、オフクロが神戸にかって住んでいたことなどもあり「神戸」の町は大好きだが、お世辞じゃなく神戸は音楽はじめその他の芸術にアッピールしてくれる町だと僕は思いますね。つまり「ゑなと神戸」は国際的にも名の通った町だし。外国人の出入りも多く、町全体がアカぬけしているからですよ。ところでアートの『ファンキー・ジャズ』であけた今年はジャズ旋風が吹きまくり、同時にコーラス・ブームもますます高まっていくでし装うね。しかもモダン・ジャズ熱は日本だけでなく世界的現象です。アートやデルタが人気を呼んだのは、彼らが立派なアーチストというだけでなく「黒人芸術」が広く支持されてきた証拠だ。だいたい〃ジャズ〃を作り出したのは黒人で、被圧迫民族の開放への叫び声として生まれたものだといわれてるすでに六十年の歴史をもつが、ごく初期のデキシーランド時代は黒人が、・ヘニーグッド・マンで代表されるスイング時代は白人が、それそれイニシアチブをとっていたようにジャズは黒人と白人が交互にその主導権をとってきている。そして一九六○年代のモダン・ジャズに至っては再び黒人がイニシアチブをとり、黒人であることを誇らしげに歌い、勇気を鼓舞するジャズに仕立てあげたのがプレイキーなのです。そのブレィキーがやってきたのだから受けるのは当然ですよ。仮りにアートやデルタが五、六年前に日本にきていたとしたら恐らく見向きもしてもらえなかったでしょうね。僕自身は〃ジャズ〃に興味がなかったんだが、その僕が呼んだ「アート・プレイキー」が日本で爆発的人気を集めたのはうれしいですね。僕のインスピレーションが当ったんですよ。例のイブ・モンタン事件でアメリカへ行ったとき、ニューヨークのグリニシピレジにあるナイトクラブ「ビレジヴァンガード』で演奏しているアートプレイキーに出会ったんです。その時に受けた印象は強烈だったなあ。うす暗い室内のカウンターにもたれた黒、白の男女が、彼らの演奏する肺賄をえぐるようにひびくリズムにじっとききいっているんだ。客たちは強烈な音楽のアルコールに全身をシビれさせ、まるで放念の彫像になったゑたいで実に異様な静けさだ。つまり聴覚や皮層でなく、魂の官能そのものできいているんですよ。正直いってこんな光景を見たのははじめてで、いつの間にか僕自身もその中の一人になっていましたよ。このときアメリカのオリジナルなもっとも現代的な芸術lモダン・ジャズを発見したんです。『文句なしに生活とナマに直結した音楽。これはイケるぞ』と思いましたね。日本でもお客さんがエキサイトしてましたね。それも場内がハデにいきりたつというのでなく。お客さんの老いも若きも問わずゑんなが、アート・プレイキーの歯切れの良い、エキサイトしたジャズのリズムに合わせて、座席の中で、自然と身体をふるわせてるんですね。知らない間に着てるものを一枚、一枚ぬぎ捨てたくなるといった気分になるんですよ。原始的なものえの憧れを呼びおこすっていうんですかね。とにかくすばらしいテクニックだ。でも親分のプレイキーはじめ彼らの心情は『純真な子供』といっしょ・芸術家という気どりはすこしもない。そこがまたいい。●●神戸で語る世界の芸術家を呼ぶ男神彰1.』-』¥色モダンジャズ熱は世界的風潮いソノてルヲ32

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