KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年3月号
20/58

、も、もういい加減に嶋中事件や浅沼事件のような殺ばつな出来ごとが影を消して、お互いが相手の幸せを尊重する社会にならないものだろうか。(神戸国際会館常務取締役)六甲山の夜モガクことすらせずに完全無欠の黒焼きになるな』ということだ。何にしても東京は人と車が多過ぎる。殺人電車からようやくにして脱出しても、今度は道を横断するのが一苦労だ。運動神経の鈍いヤシは、たちまち車にハネ飛ぱされ空しく開い瞳孔に、塵挨に汚れた大東京の悲しい日暮れ空を映すというテイタラクとなる。東京は暮すところではない。人間の生きるところであるようだ。生きることに疲れた人間の暗に、緑の山々がつらなる神戸の街の姿が浮んでくるのも、当然であろう。あれは七年も前のことだったか仕事があって夜の六甲をオープンカーでふっとばしたことがある。同乗者は上役のT氏と私、それに仕事の都合でうら若い女性達が二三人ぎっしり乗り合わせていた。仕事は終ったし、六甲の夜気はこの上もなく爽涼だし、一同全くのご気嫌でワイワイガヤガヤ騒ぎながら、裏ドライプウエーを疾躯した。やがてT氏の発案で、ついでに摩耶山へ回って承ようじゃないかとなった。分岐点を摩耶の頂上へ向って方向をかえる。さすがに摩耶への山道は人影もない。車はサットとカーブにさしかかる。その瞬間、われわれの車の強烈なヘッドライトの中へコッネンと描き出された一コマのドラマ:…それは、まがうかたなき一組の男女の、歌麿えがく浮世絵の現代版であった。あっという間もない出来ごと、しかもどうにもごま化しようもないほどそれは夜目にも鮮やかな姿態であ霧「あなた気をつけてね。じゃ行ってらっしやい。」恐らく全国津々浦々どこの家庭でも、毎朝繰り返されている月並な主婦のセリフだが、これが最近の東京となると、決して月並なセリフなどと片付けるわけにはいかない。送り出される亭主にとっては、妙に実感が伴なうナマナマしい言葉に響くのである。まったく、男子家を出ずれば七人の敵どころの騒ぎではなく、電車に乗ったり街を歩いたりする一日一日が、大ゲサでなく、命がけである。ラッシュアワーの殺人的な混承方は、終戦直後の混乱ぶりに決してピケをとらない。片手を弛人の肩に乗せ、片足を宙に浮かぜたままの姿勢で、人間の波間に埋没しながら考えることは『今もしこの電車が火を発したら、全員、●升田武雄った。車内のガャガヤはピタリと止った。誰も、何もいわない。異様に重苦しい沈黙を乗せて、車はただひた走る。若い女性たちの心理を考えると、私も、この沈黙を破るべき言葉が見つからない。やがて、T氏がポッリといった。「六甲にはキツネが居るからネ。」私は今、狼雑な銀座の夜の人波にもまれながら、ふと六甲の夜の一コマを思い出した。それはも早エロでもグロでもない。深沈とふけゆく六甲の山をバックに描かれた、なつかし想い出の名画として..…。。(ラジオ関西東京支社長)ヘ戸1161●

元のページ 

page 20

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です