KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年3月号
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った。左様、本気で「l君とならイヤイヤでも死ぬよ」と。しかし三カ月と経たぬうちに当の彼女のほうで心の火が消えた。それがキッカケでこのラヴはほろびた。私は、ちょっと遠くを視るまなざしになり、カウンターの冷いグラスを口へはこんだ.ウイスキーソーダって、妙に伯びしい味だと気がついた。(洋画家)「神戸っ子」の想い出●芳賀政夫こんど郷土雑誌A神戸っ子Vが発刊されることになった。このごろでは中小都市でも、それぞれ意匠をこらして美しいPR雑誌が発刊されているのをよく見かけるので、こんどの企画は、われわれ神戸っ子にとって甚だうれしい企画だ、ぜひ成功させてほしいものである。神戸っ子で神戸を離れ他郷で生活している人、あるいは他国の人でも神戸で生活したことのある人たちにとって、神戸だよりはすごくなつかしいものであることはいうまでもない。また神戸っ子自体にとっても燈台もとなんとやらで、神戸の歴史には案外暗いもたち二人、ウイスキーソーダのおかわりが重なると、こんな話題になってもおかしくはなくなる。「君ね。好きな女からね、わたしといっしょに死んでくれることが出来る?って訊かれたらどうする?」「こりやお安くない話だね。君、どう返事した?」「いや、君に訊いてんだよ、君に」「うまくごまかしたね。そうだな僕なら正直に答えるね。ほんとうに好きならね」「正直にって。死ぬのは嫌だってかい?」「嫌だろ?君」「うん、嫌だ」「といって、その女を好きは好きなんだろ?もちろん本気で」「もちろん本気で好きだ。だから困る」「そう、困る。好きだけれど死ぬのは嫌だ、では理屈にはあっていても薄情l」「とは、またちがうんだがね」「そこだよ。だからさ、死ぬのは嫌だけれど、君とならイヤイヤでも死ねるよ、って」相手はドンとカウンターを叩いた「うまい!殺し文句だ。しかしね本心そうでも、口に出して表明してしまうとl」「嘘になるか」「その時はその気でも、さきになってl」「それはわからない。どちらもねI」私はロを喋んだ。つい先頃、私もまた炎のように燃えた女性からそのように訊かれて答えたものだのであるし、まして外側からふた神戸となるとインフォメーションを得ることがむつかしい。このような意味でも八神戸っ子Vの発刊は大いに意義があるのではなかろうか。むかしむかし、よき時代に神戸に八恥神戸っ子Vというまことにささやかな小雑誌があった。当時では人さまから『ナカナカ気がきいている』とほめてもらったが、どうせ若い者たちのお道楽なので、そこはよろしくおだててもらっていたのでしょう。どんなきっかけでA八神戸っ子Vが生まれたのか、なんのはずゑで私ごときが仲間にいれてもらったのか、ふた昔も前のこととて記憶は甚だはっきりしない。当時神戸大丸の宣伝部長をしておられた新進気鋭の塩路義孝さんが音頭とりで、本職の宣伝ばかりでなく、すこしはゆとりをもって宣伝くさくない気らくな.ハンフレットでもつくって承ようではないか、と提案されたのが発火点であったことはたしかだ。お互いに本職のことは書くまい書くときはウンと『高尚(?)』なものを書くことlナンテ生意気なことをホザイていた記憶があるまったく若気のいたりとはいえ冷汗ものです。毎月例会を開いて編集会議(?)をやる。メンバーはそれぞれ極めて進歩的(?)なる意見を吐、き、大いに気エンをあげていたが、不思議とアルコールの出たことがなかった.後年の酒豪どもがよくそれでおさまったことと思うが、会●1141
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