KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年3月号
17/58

ノリこの間テレビでNHKの海外ニュースを見ていたらプレゼントをもらうアメリカの子どもたちの風景がうつっていた。ところが、そのうちの一人の女の子が、こちらを向くと、いきなりペロリと舌を出したものだ。その茶目っ気な動作がいかにも自然で、愛くるしいのに私はひどく感動させられた。なんでもない動作に「自然の恵承」のようにあふれこぼれる表情の明かるさはたしかに欧米人の特長である。ところが日本人となると、こうはゆかない。戦後の民主主義ムードのおかげで日本人がとても解放的になったことは事実だが、まだまだ欧米人にくらべると不自然で、ギコチナイ感じのする場合が多い。だからアメリカ人などは、ジャパニーズ・スマイルは「モナ・リザの微笑」以上に不可解だ、といっている。おかしぐな可ジャパニーズスマイル青木重雄●ナィ感じを受ける時が多い。声がよくても顔がつくりごとでは不自然きわまりない。三人組へ四人組となるといっそうチグハグであるたくまない自然の身振り、といったものをもっともっと身につける必要がある。その点、子どもの表情はさすがにおとなと違っていきいきとしてきたことが感じられる。日本の子ども全体がジャ・ハニーズ・スマイルを棄て去って、アメリカ人の子どもと同じような解放的な笑いに恵まれる日もそう遠くはあるまい(神戸新聞社論説委員)いのに笑うつくり笑いなどは、たしかにアメリカ人から承ると無意味な怪笑に違いない。またたとえ本気で笑っていても、どこか不自然さがまじっていて、笑っているのか悲しんでいるのかわからぬ〃肌寒い感じ〃を与えられる場合もわりあいに多い。他人に簡単に笑い顔を致せなかった武士道の長い間の伝統のため、いまだに日本人の笑いが内攻的で、爆発的でないことを認めないわけにはゆかぬようである。芥川龍之介の小説で、顔ではこらえてハンケチで泣くlつまり、ハンケチをいじっている手に悲し承の表情があふれている。といった描写があるが、これなど昔の日本人の典型的な〃儒教的表情″である。悲しむことははしたない、という心理の表現である。同様に笑うことははしたない。という考え方が、いまだにこんにちの日本人の心のどこかに巣食っているようである。テレビや映画で歌うジャズ歌手の表情にしても、まだまだギコチ●『酒場にて松岡寛一酒場のカウンターで中年男の私31

元のページ 

page 17

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です